2021.12.21(Tue)-2022.03.06(Sun)
10:00~18:00 [入場は17:30まで]
岐阜県美術館[展示室2]
The Museum of Fine Arts, Gifu
IAMAS ARTIST FILEは、岐阜県美術館とIAMAS* が2013年から2019年まで6回に渡って共催した展覧会です。7回目となる本展では、 映像メディアによる表現を展開してきた3名のIAMAS出身のアーティスト 木村悟之、萩原健一、堀井哲史を紹介します。普段よく耳にする電子的な映像を表す「ビデオ」の語源は、ラテン語の「videō (ウィデオー)」であり、それには「私は見る」といった意味があります。映像表現のなかでも「からだと情報」の関係に着目した三人三様の「見る仕事」を展示します。
* IAMAS(イアマス)=岐阜県立bet36体育在线-体育投注官网@の略称
KIMURA Noriyuki
Q.1 木村さんはIAMAS在学中、どのようなことに関心をもち、制作?研究活動を行っていたのですか。
[木村] 在学当初は、コンピュータープログラミングの可能性に興味を持っていて、それを映像制作に用いるにはどんなアプローチがあるのか探ろうと思っていました。それで当時多くのIAMAS生が使っていたプログラミング言語であるMaxやJitterを勉強したのですが、同級生がMaxは簡単に使えるから良い、などと口にするのを横目に僕はなかなか習得できず、また作品への応用も難しく感じていました。
一方で、三輪眞弘先生の音楽作品《またりさま》や前田真二郎先生の映像作品「日々」など、指示書を用いた作品に触れて、それらのアイディアにすごく影響を受けました。どうして自分がこんなに面白いと感じるのか理由もわからず、何度も作品を視聴して指示書や説明文を読みました。幸いなことに、三輪先生や前田先生にその背景を質問することもできました。それで自然と「人間と機械との関係」といった議題に関心を持つようになり、気づけば自分も、指示書を用いた映像制作の実践を試みようとしていました。
Q.2 木村さんはIAMAS修了から現在まで、どのような活動を行っていたのですか。
[木村]おおざっぱに言うと、依頼された業務として写真撮影や映像制作を行いつつ、どうにかぽつぽつと自分の作品を作ってきました。オーバーハウゼン短編映画祭や文化庁メディア芸術祭等のコンペティションに応募して作品発表の機会を得たり、国立新美術館での「DOMANI?明日」 展(2019)に参加したりしました。
2018年からは石川県加賀市を拠点に「映像ワークショップ」を主催して、映像制作だけでなく、映像制作ワークショップや上映会、映像資料のアーカイブ活動等を行っています。
Q.3 本展示に『軌跡映画1 アーカイブ』がありました。『軌跡映画1』は木村さんがIAMAS在学時の作品ですが、2004年の当時、どのような興味から制作したのか教えてください。
[木村]『軌跡映画』は、指示書を用いた映像制作の実践の一つです。映像のアイデアを作品にする際、通常は脚本や絵コンテを用いて完成像を指示するのに対して、『軌跡映画』ではコンピュータープログラミングのように主に数値を用いて指示しようと試みました。言葉やイラストによる指示のように多様な解釈を許さない。数値で指示して、撮影者である人間はそれを寸分の狂いもなく正確に遂行せよ。そう強要することで、機械とは違った人間の身体が引き起こす想定外のエラーが見えやすくなるだろう。そこを作品の面白みにしようと思っていました。
また、GPS受信機(2004年当時のハンディGPSでは緯度経度の数値で現在地が表示されていた)に表示される数値を見ながら移動する、ということを実際にやってみると、日常生活での景色が全然違うものに見えてきます。《軌跡映画 1》では当時の僕の自宅から半径3kmの円周を移動しながら撮影したのですが、撮影している間は恐ろしく遠い異国を彷徨っているような気分で、本当に歩いて自宅に戻れるのか?、いつリタイアしようか?などと考えながら歩いていました。後日、ふと車で撮影場所を通りすぎたりして、「え、こんなに近所?」と呆気にとられました。『軌跡映画』の撮影では、必ずどうしようもなく「迷っている」気持ちになります。
Q.4 『軌跡映画』、新作の《飛行物体》のどちらも、木村さん自らが設定したルール(指示書)によって、撮影者/パフォーマーの身体、肉体を酷使するものになっているように思います。木村さんがそのようなルールをベースとした「ルールベースド作品」を制作している理由はなんですか。
[木村]僕にとって、ルールは拘束することなので、僕がルールベースド作品を作る際には、ルールで撮影者/パフォーマーの身体をできるだけ拘束したいと思います。それによって、思いもよらず出てきてしまう「何か」を掬いあげたいと思っています。
一方で、これまで「ルール」や「指示書」をアーティストがどんなふうに使ってきたのだろうと調べると本当にたくさん出てきます。ブルース?ナウマン《Walking in an Exaggerated Manner》(1967-68)、ソル?ルウィット《Wall Drawing》(1968-)、ローレンス?ウェイナー《Statements》(1968)、ダグラス?ヒューブラー《Duration Piece》(1968)など、60-70年代のコンセプチュアル?アートでは、もうやり尽くされているのではないかと思うほど指示の用い方が多彩です。そうして大勢のアーティストが一斉に指示書を用いたのにはきっと時代的な背景が反映されているのではないかと思っていて、だとしたら、2022年の長引くコロナ禍で、パソコンとスマートフォンを片時も離さず、どこへいくにもスマホの地図を頼みに移動する自分が、気付かぬうちに従ってしまっているルールや指示はなんだろう、と振り返りながら作ろうとしています。
Q.5 《軌跡映画1 アーカイブ》では、撮影時に埋めたネジ(*注1)を探し出して展示することで、制作当時から現在までの時間の経過を窺い知ることができました。木村さんが『軌跡映画』を制作した当時、このような作品の展開は想像していたのでしょうか。
[木村]ネジは撮影者が辿った痕跡ですが、17年といった長い時間については、当時、リアルには意識していませんでした。
実際の撮影では、この「ネジ打ち」という行為によって救われます。繰り返しになりますが、数値だけを頼りに24時間移動しつづける撮影者はずっと「迷っている」精神状態で、特に夜中は不安で狂いそうです。「ネジ打ち」は確かな手応えのある行為で、精神的に落ち着きます。
*注1 『軌跡映画』は、半径3kmの円周を24時間かけてGPSの数値を頼りに移動しながら撮影するというものだが、移動中に5回、電動ドリルで地面にネジを打ち込むルールも設定されている。
Q.6 《飛行物体》を制作するに至った経緯、動機を教えてください。「ホムツワケ伝承」に着目したきっかけは何だったのでしょうか。
[木村]今回、新たなルールベースド作品を作り、『軌跡映画』と並べて展示したいと思いました。
「ホムツワケ伝承」については、まったくの偶然です。岐阜県での滞在制作にあたって、僕は過去の作品で扱ったことのある太陽の運行を今回も扱おうかしらと調べていたら「日置部」という太陽暦を司る職業集団が岐阜県にも居たらしいという情報を聞き、そしてその日置部の祖「建岡君」が登場する不思議な話を見つけました。早速そこに登場する神社を訪ねつつ、「ホムツワケ伝承」の沼にハマっていきました。
Q.7 木村さんの思う《飛行物体》の見どころを教えてください。
[木村]《飛行物体》制作のモチーフになった「ホムツワケ伝承」は、古事記や日本書紀にも登場する神話です。恥ずかしながら今回初めて日本の神話をちゃんと読んで、神話ってこんなに面白いんだ、と気付かされました。神と人間との関係がすごく複雑で、地上の人間は、空の上にあるとされる神の世界からの見え方をいつも気にしている。夢や占いを用いることで「この世」と「あの世」とを盛んに行き来したりもします。「ホムツワケ伝承」を読んでいると、「メタバース」なんて言葉の行き交う現在の描写として解釈しても腑に落ちるようなところがありました。
今回は「ホムツワケ伝承」を題材としつつ、展示タイトルにある「Videō(わたしは見る)」について考えようとしました。僕はスマホの地図を見ながら歩いていて電柱に頭をぶつけることもしばしばで、いったい何を見て歩いているのか?と疑問に思います。《飛行物体》の展示を見た後に、スマホの地図に表示された「現在地」を見て、奇妙なことに思えてくるような作品であったらいいなと思います。
Q.8 《飛行物体》で登場するナビゲーションユニット(パフォーマンスに使用したシステム)についてもう少し詳しく教えてください。
[木村]「ホムツワケ伝承」について調べながら、「過去を辿る」とはどういうことだろう?そのためにGPSを使用するとしたら、どう用いればいいのだろう?と考えました。そこで、「4分前に送信されてきたパフォーマーの位置情報を、同じパフォーマーが4分後に向かうべき目的地として設定する」という仕組みを思いつきました。
この仕組みでは、もしGPSの測位が正確に働いていたら、パフォーマーは何分経ってもスタート地点から一歩も動かないことになります。けれどもGPSの測位は、受信機によって、または受信する場所の環境によって誤差が発生するので、多少は動きがあるだろうと予想していました。
実際にやってみて、パフォーマーは結構な距離をあちこち移動することになったので驚きました。とはいえ、展示にあたり縮尺1/25000の地形図に軌跡を描いてみると、その移動範囲が狭すぎて、0.3mmのシャーペンの先を極細に尖らせてなんとか描画できるほどの小さな軌跡だったとわかりました。
Q.9 《飛行物体》の最後に「指示書」が表示されます。どのように指示書を制作されたのか、教えてください。
[木村]まずは「ホムツワケ伝承」を調べることで挙がったキーワードを並べました。なかでも「過去を辿る」ことに注目しながら内容を整理して、GPSの数値を用いた指示に落とし込もうと試みました。
GPSの数値を見ながら移動し続けるパフォーマンスは、実際に3回行っています。その過程で再び指示内容が整理されていきました。最終的には、指示書を読んだ他人が再現できるかどうかを考えながらまとめました。
Q.10 パフォーマンスを夜に行ったのはなぜですか。
[木村]撮影当日の成り行きです。当初は正午12時から始める予定だったのですが、実は、石川県の自宅からスタート地点の花鹿山へ向かう高速道路で車が故障し、レッカー移動で修理工場へ向かう羽目になりました。けれどその日にやらないと次はいつできるかわからない状態だったので、レンタカーを借りて再び岐阜へ向かいました。花鹿山に到着して開始したのは16時30分。たまたまバッグに入れていたスマホのバッテリーにLEDライトが付いていて助かりました。
とにかく必死で撮影したのですが、翌日、記録した映像を見たら、それこそ『ROGUE』のように常に部分的にしか見えていないような状態で、それが作品にぴったりの素材だと気づきました。
Q.11?《飛行物体》の本編の中で、RPGコンピューターゲーム『ROGUE』の説明があります。オリジナルが存在しないという点で『ROGUE』と神話を重ねていると受け取ったのですが、なぜ『ROGUE』を選んで引用したのですか。木村さんはこのパフォーマンスをゲームと捉えているのでしょうか。
[木村]宮崎さんの受け取られた通り、「ホムツワケ伝承」が時代を経ていくつもの異なるバージョンを生む経緯を知って『ROGUE』の話を思い出し、イメージを重ねてみようと思いました。
制作の過程においては、「ホムツワケ伝承」についての解釈を集め、歴史的な経緯を辿り、地理的な検証も終わった頃で、たくさんの情報を手元に置くことができたのですが、少し真面目に調べすぎて身動きが取りづらいようにも感じていました。それで、作品に入れるにはちょっと根拠の薄い情報を挿入してみたらどうなるかなと思って引用しました。
「このパフォーマンスをゲームと捉えているのでしょうか」。とても難しい質問です。守るべきルールがあって、途中でリタイアしたら負け、そんな風に考えているところがあるかもしれないです。一方で『軌跡映画』では、円周を辿りきれずに途中リタイアを何度かしているのですが、そういう時にもやはり、作品が完成した、と思うのです。
Q.12? 『軌跡映画』と《飛行物体》のどちらにも軌跡というワードが登場します。軌跡にこだわる理由を教えてください。
[木村]約2万キロ上空にGPS衛星という人工物が30個以上も周回していて、自分が正確に測位されていることに、言いようのない気持ち悪さを感じています。気持ち悪いのでこだわり続けてしまいます。
今回、《飛行物体》の制作や『軌跡映画 1 アーカイブ』に微力ながらアシスタントとして携わり、木村さんの豊かな発想力や、それを実現するための地道なリサーチ、制作への熱量を感じることができました。これからの展開も楽しみです。
聞き手:宮﨑那奈子(IAMAS M1/タイムベースドメディア?プロジェクト)
HAGIHARA Kenichi
Q.1 萩原さんは学生や教職員として、IAMASに長く携わられたと伺っています。その時は、どのような制作や研究活動等をされていましたか。
[萩原] 人間が景色を見に行く行為、光をお土産として持ち帰る欲望など「観光」をキーワードに、集合写真やポストカードのような視覚を物質化したり所有したりするメディアに興味がありました。また、写真家と呼ばれる人たちの外界への感度の高さに強い憧れがあったので、写真を主に勉強していました。ジャンルとしてはニュー?トポグラフィクスと呼ばれる風景写真です。自分と異なる技術や知識を持った友人が身近にいたので、他の分野の影響も受けつつ、観光地が持つ特異な磁場、風景に誘発される人の振る舞いをどうにかして作品に表現できればと模索していました。とはいえ、あまり積極的に展覧会に参加したりもせず、制作に没頭するわけでもなかったです。自分が撮影すべき対象をみつけきれなかったのかもしれません。研究対象が観光地なので、行ったことの無い場所に目的を作って無理矢理出かけたり、食べたり泊まったり。一生懸命遊んでいました。今振り返れば、もっとキャリア形成を踏まえた活動をする時期ではありますが。
Q.2 今回の展示を拝見して、萩原さんは「人」をモチーフとした作品を手がけてきたことを知りました。その理由について教えてください。
[萩原]人物を撮ることに全く関心が無かったのですが、その写真の題材を探している頃から「風景やメディアに対峙する人間」に興味を持ちました。例えば、観光モニュメントの前で自撮り写真を撮るために、撮影対象に背を向けて自撮り棒を伸ばす姿は、今では珍しくない撮影行為になっています。ですが、もし20年後の未来に棒を伸ばさずとも同じ撮影が可能な新技術が主流になれば、自撮り棒による人の仕草はこの時代特有の振る舞いであり、今日的な風景と言えます。その姿は未来の人々にとっては非常に奇妙に見えると思います。「人」ではなくて、カメラやメディアと人間との相互関係に注目しているのだと思います。他者の行動を引き出す仕組みづくりにも興味が湧いていました。美術予備校で受験生向けに課題を作成する仕事をしていた経験も大きいと思います。
Q.3 《SUGATAMI》や《TRAIN》は、複数のディスプレイの並びから、感じ取れるものがあるように思いますが、そのような構成への共通したテーマはありますか。
[萩原]複数のモニターを使うようになったのは大学院の頃に南アフリカの映像作家キャンディス?ブレイツの作品に出会ってからです。自分は写真作品に取り組んでいましたが、静止画と動画の中間領域を探るような展示構成をとるようになりました。ドイツの写真家、ベルント&ヒラ?ベッヒャーを始めとするベッヒャー派と呼ばれる方々のタイポロジー(類型学)?フォトグラフィの手法も意識しています。
Q.4 《SUGATAMI》はどのような経緯で制作されましたか。萩原さんの着眼点や作品の組み立て方について教えてください。
[萩原]《SUGATAMI》の当初の構想はダンサーではなく、街を歩いていると遭遇するファッションの系統が同じ人々に興味を持ったのがきっかけです。ペアルックとは違って少しだけ異なる似た服を着る人たちです。仲良しの女性ペアが2人とも同じ色のコートとスカートだったり、友達同士で遊びに来た学生集団が全員似たようなダウンジャケットを着ていたり。よく見ると別ブランドのアイテムなのですが、お互いの引用元が一緒。その数年後「量産型大学生」とネットで揶揄されるような同調行動ですね。一見、無個性に見えますが、同じような見た目になることで、むしろ細部が強調され、表情や仕草などに個々人の素の性質が現れていると思いました。その要素を撮影する手法を探った結果、選んだ被写体がストリートダンサーです。「練習曲」と「振り付け」という決まった時間と身体を軸にできたことが大きな理由です。その頃は、自分の知らない世界だったので、ストリートダンスのジャンルや地元カルチャーを勉強していたら惹きこまれました。《SUGATAMI》プロジェクトは終わっていますが、今でも機会があれば小さいダンスイベントや学生サークルの発表会を見に行っています。
Q.5 《TRAIN》は比較的最近のシリーズですが、制作の背景について教えてください。撮影に当たっては専用の装置を使っていると聞きました。
[萩原]タブレット越しに人物を撮影する構想は2008年ごろにあり、その後すぐパイメニュー(円形ポップアップ)からフリックによる日本語入力方式が主流になった時に具体的なプランが出来ました。いつか作品にしたい気持ちがあったので、片手間ですがリサーチしながら試作のようなものを進めていました。しかし、釣りや登山に熱中してしまい、根気もないため、この構想は長い熟成期間に入りました。仕事が忙しかったというのもあります。その間、恋チュンや恋ダンスなどの社会現象や、TikTokなどのサービスで画面越しに同じ仕草を共有しあう姿が世の中に頻出するにつれて、制作を再開しました。以前は撮影装置を制作するのに技術的にも予算的にもハードルが高くて頓挫していた部分が、年月が経ったおかけで解決したという制作環境の変化もありました。
Q.6 作品制作だけでなく、「フレット?アニメーション」等、教材開発に取り組まれた経緯や動機を教えてください。
[萩原]大学などの教育機関で映像制作を教える機会が多いのですが、多様化する映像メディア環境に対して授業のやり方や、そこで使われる教具が足りて無いと感じました。もちろん新しい映像教育を実践している例もありますが、多くは取り上げる実習内容が番組やドラマ制作などのコンテンツに偏っている印象もありました。メディアート作品で用いられる手法やアプローチはそういった教育の現場でこそ実用性が高いと思っていたので。いろんな人脈を頼って自分の授業では教材からつくるようにしていました。
Q.7 独自に開発されたアニメーション教材「フレット?アニメーション」の今後の展開については、どのように考えていらっしゃるのでしょうか。
[萩原]現状のテーブル型はまだ設備として仰々しいと感じています。スマートフォンとアームのみで完結するような簡素な構成にアップデートする予定です。この手の教材は現場への導入障壁を限りなく下げておきたい気持ちがあります。
Q.8 作品制作や教材開発、ワークショップ等、幅広い活動に取り組まれていますが、今後の活動の展開について教えてください。
[萩原]自分の活動を支えているのは、知人友人がもつ多様な技術や知見であることが多く、成果物も沢山の協力者によって実現されているものばかりです。僕は器用ではないので、新しい取り組みが始まるとそちらに集中してしまい、中途のままのプロジェクトも多いのですが、関わってくれた人の繋がりのためにも継続し発信することを心がけたいです。
人とメディアの関係を見つめながら作品を展開されている萩原さんの活動について、その制作背景を伺うことができました。時間をかけたアプローチで、時代の流れや周りの人と共に作品をつくり込まれてきたことがわかり、これからの活動が益々楽しみです。
聞き手:佐々木紘子(IAMAS RCIC研究員/美術家)
HORII Satoshi
Q.1 今回はIAMAS ARTIST FILEへの出品ありがとうございました。堀井さんは世界中でその名を知られるライゾマティクスで活動されていますが、今回はIAMASの卒業生としてグループ展にご参加いただいたことになります。思い返していただいてIAMASというところは堀井さんにとってどういったところだったでしょうか。
[堀井] IAMASには2003年に入学しました。その前は、美術大学でコンピューターを使った映像/CG制作を学んでいました。
当時、扱っていたソフトウェアのほとんどが、既存のアナログでの制作プロセスがメタファーとしてベースになる設計がされていたことに疑問を持っていました。それでは、生産性を上げるためだけにソフトウェアが存在しているだけで、コンピュータが介在することならではの創作が生まれてこないことに、疑問を持っていました。
そのようなきっかけで、同じような問題意識を持つ人をリサーチしている中で、メディアアートを知り、IAMASに行き着きました。IAMAS在学中は、音楽に限らず、様々なセンサーと連動して、インタラクティブに映像を生み出せるシステム/ヴィジュアル作りに没頭していました。
Q.2 ライゾマティクスについて教えてください。そこで堀井さんは、主にどのような役割を担っているのでしょうか。
[堀井]ライゾマティクスは、はじめから、そして現在でも同じように、クライアントワークと、自分たち発信のアートワークとを同時に行っています。そのため、誰も実現してないようなことをアートワークの中で提示し実績を作り、クライアントワークにそれを持ち込み新たな価値を提供することが出来ています。
その中で私は、音楽?センサー?様々なデータの入力を生かした、プログラミングによるビジュアル作りを、当初から担当してきました。
Q.3 《Light and Shadow》が最初に公開されたのは、2019年、ワシントンDCにあるアートテックハウスで、ライゾマティクス名義だったと伺っています。特設サイトを拝見すると、見る人が没入できるような展示風景の写真がありました。そこでの制作で、堀井さんが試みたことなどを教えていただけますでしょうか。
[堀井]壁の向こう側に地続きの空間があるようにしたかったので、カメラ移動、カット編集のような映像的な演出は排除して、定点視点のみで撮影しました。
定点視点でも耐えうる強度を持たせるために、自分自身が新たな発見を見出せるモーションデータの扱い方を試作して、物量面で飽きさせないようにしながら、個別のアイデアが凡庸にならないように苦心しました。
Q.4 物量面で飽きさせないモーションデータということですが、MIKIKOさん振り付けのSARAさんによる5分38秒のダンスに対して、どれくらいの量を記録したのでしょうか?
[堀井] モーションキャプチャーのためのマーカーの数で言うと、正確には記憶してませんが、100程度です。手指もキャプチャしたため、通常より多いです。カメラはモーションキャプチャ用に24台使いました。実写用には、別に撮影を行い、カメラは正面の一台です。 そういった特殊な状況でしたが、3テイクでSARAさんのダンスの撮影は終了しました。その内、最後のテイクを《Light and Shadow》の制作のために採用しています。
Q.5 オーディオの視覚化?映像化の方法について教えてください。
[堀井]オーディオは音色ごとに分かれていて、それぞれの音量に合わせて照明の強弱をつけたり、それらオーディオの視覚化された部分を、ダンサーの動きの緩急に合わせて使用したりしています。
ダンサーの動きと、音楽の連動性がより際立つような効果を思索しています。
Q.6 現在、アートテックハウスDCで上映された《Light and Shadow》を岐阜県美術館の会場に合わせて編集して上映していますが、それに加えて、同じ曲とダンスで2021年版として再編集した新作も発表しています。さらに《Endless Imaginary》と《Behind the Scenes》の「Right」と「Left」をモニターで上映しています。私が個人的に気になったのが、《Behind the Scenes / Right》で、SARAさん同士が2人で向き合って踊っていて、片方のSARAさんの視線で映像化されているシーンです。各作品は5分38秒で、同じテイクを素材にしているはずなのに全く異なっていて、それぞれ豊かな展開を示しています。今後さらなる展開をお考えなのでしょうか。
[堀井]私も映像/プログラミングで関わっている「discrete figures」(2018)において、ダンサーの視線を扱ったシーンがあります。(一人のダンサーの額にカメラを取り付けて舞台上を撮影し、その映像がオンタイムにステージ上にフィードバックされて、その中に別のダンサーの姿が浮かび上がっています。 https://youtu.be/hauXQQhwbgM?t=151)この時から、舞台に立つパフォーマーの視線が持つ物語性を実感したのをきっかけに、常々視線を扱った試みをしてきました。
今作においてもそのような試みをしてはいたのですが、定点視点の作品としては成立させる見込みが立たなかったので、追求することは諦めました。《Behind the Scenes / Right》にはその実験の片鱗を入れています。いずれ違う形態で実現できればと考えています。
堀井さんは、一つのパフォーマンスに含まれるさまざまな情報を元に異なるアプローチを試みて、豊かで多様な作品を発表しています。それぞれのシーンの背後(Behind the Scenes)にある更なるアイディアも本展で公開していたことから、堀井さんによる展開の幅広さに、次回作への期待も高まります。
聞き手:西山恒彦(岐阜県美術館 学芸員)