カタログには各作家による個々の作品の解説が載っていますが、ここでは、全体を展望して感じる各作品のみどころを紹介してみます。まず今回は、どこかでコンピュータを使いながら、観客参加の場面では、できるだけ身近な人々の日常的な生活感情や、遊び感覚、歴史的な郷愁にまでつながる作品が多いのに気がつかれるでしょう。これも現代の成熟しつつあるメディア?アートの状況を象徴するものかも知れません。以下、出品作品のなかでコンセプトの似た傾向の作品群をまとめてみました。
[郷愁と追憶を求めて]
私たちの追憶や郷愁につながる意識に関わる作品がいくつも並んでいます。まず会場に入ってすぐの右手に大きく広がる囲われた部屋のなかで展開するクリスタ?ソムラーやロラン?ミニョノーの作品『霧の特急列車』。これは、まるで新幹線の列車内部のようなつくりで、観客が向かい合って座る3 対の座席とその間の窓で構成されています。座席に座って窓外を見ると、深い霧ごしに懐かしい町や風景が過ぎ去ってゆき、旅の追憶をかき立ててくれるようです。しかも、窓に触れるとそのイメージは幻想的に変容していきます。じつはこの解説を書いている段階では、そのイメージやインターフェイス自体はまだ完成途上。私自身想像力を逞しくして、そのファンタジーを思い描いています。
タマシュ?ヴァリツキーの『フォーカス』も、同様な、追憶のテーマにつながる作品です。彼がカールスルーエのZKM に滞在していた6年間に撮りためた懐かしい交友の人々の顔写真を、記念写真のように合成して展示していますが、これまた霧のなかのように焦点がぼやけた写真です。しかし、観客が目の前のタッチパネルに手を触れた途端、その部分に焦点が合い、しかもカメラの焦点深度を調節するレンズのリングのように、深度を変化させる移動スケールをゆっくり動かしていくと、ピントの合う範囲が次第に広がっていきます。この新しいインターフェイスは、タマシュが客員芸術家としてIAMASに着任して以来、新しく開発したデザインで、その触覚的な(レバーの)感覚がこんな写真イメージへの郷愁をいっそう親しみのあるものにしてくれるでしょう。写真の群像の幾つかも新しく追加して、昨年9月にアルス?エレクトロニカの展覧会で発表した時から、一段と進化した作品になっています。
MIT のメディア?ラボの若い大学院生二人である、デビッド?スモールとトム?ホワイトが制作した『意識の流れ』も、どこかで人間の文字がもつイマジネーションへの記憶を触発する作品です。会場に一見場違いなように組まれた石組の池の水に、上部から水に浮かんで流れてくる木の葉のような言葉のかずかず……。それとなく単語を拾って読むと、ことばからの連想が起こって、さまざまな意味の記憶が意識のなかを循環していきます。そばの柔らかいパッドで覆われた触覚のインターフェイスに触れると、光のカーソルが水中に現れ、光に触れさせると、文字が木の葉のように回転して、次々に似たような意味をもつ新しい単語へと変容していきます。文字のもつ意味の記憶から、人は自らの体験を回想し未来に思いを馳せる存在。そんなことばの心理的効果を巧みに取り入れた新鮮な作品です。
同様に、なかでも日本人にとって郷愁を誘うイメージは、会場に置かれた愛らしい器のなかに何百本と束ねた線香が林立する不思議な作品、イレーヌ?ブレチンの『風にそよぐ草』でしょう。線香の先端には火を思わす小さな電球の光がまたたいて、口で息を吹きつけると、その火が手前から向こうへと流れていき、お盆の季節に祖先の霊を呼ぶ気持ちをさえ誘います。器の下に生える草も、揺れ動く器とともに風になびき、思わず、ひとときの自然との対話に浸れるようなさわやかな作品です。
[光とかげのゲーム]
コンピュータの機能には、もともとプログラミングによって実体そっくりのイメージを生み出すシミュレーション作用があり、それを生かした仮想現実の分野も広がっていますが、そんな特徴を利用した作品もここには幾つかあります。なかでも光とかげの演出による作品が2点目立ちます。例えば近森基と久納鏡子の『KAGE-KAGE』は、いままで各地で展示し、受賞してきた作品『KAGE』をさらに進化させて、垂直な2枚の壁の間でみせるバージョンです。光が生む円錐のかげと見えたものが、じつは本物のかげでなく、観客が円錐に触れるたびに、予想もしなかった不思議な仮想のかげが飛び出す愛らしい作品。こどもから大人までを童心のかげ遊びに誘いかける作品です。
もう一つ、光と人間の相互作用を誘導する作品には、スコット= ソーナ?スニッブの『境界線』があります。広場に2人が立つと、その足元に2人を隔てる1本の光の境界線が現れ、3人、4人と増えていくと、同様に3 本、4 本と境界線が割り込んでいく不思議体験。認知システムを生かしたインターフェイス?デザインの試みで、ふだんの交友関係でも、人と人を隔てがちな心理的な距離感や、物理的な距離が生み出す微妙な心理的影響などについても、考えさせてくれる作品です。
[スケッチやデッサンのような絵画的な行為を触発する作品群]
エミリー?ウェイルの『セルフポートレート』は、現在進行形で制作中のソフト作品の一部。大型モニターの前に立つ観客の姿が、あるときはチョーク?デッサン風に、あるときは輪郭線のシルエット風に多彩な展開をして、動くポートレートが目の前で自動生成していきます。その画素の種類を選択するプログラムを、彼女自身の工夫するインターフェイス?デザインの上にうまく取り入れて制作するため、現在研究室で挑戦中。展覧会開催までにはぜひ完成を期待したい作品です。
彼女と共にITPで研究するダニエル?ローズィンの『マジック?キャンバスの肖像』も、同様に絵画的なイメージを追って、観客参加を誘う作品。キャンバスの上に向かって、不思議な光ファイバーの筆でなでると、会場に備えた数台のビデオ?カメラが捕らえたイメージから、幾つかを選択してその上に描き込み、合成手法で風変わりな肖像画や風景画を次々に生み出せる作品。絵の具を選ぶように、筆を絵の具の缶に浸して、ビデオ?カメラを選択する仕組みも凝っていて、楽しめるデザインの作品です。
[バランス感覚の迷路ゲーム]
MIT のメディア?ラボの大学院生であるウィリアム?キースと、前述の新しいメディア?アートのセンターとして再出発しはじめたCAVSで、新しい企画を練っている主任研究員のロナルド?マクニールが共同制作した『からだで探る迷路ゲーム』。市販の迷路ゲームに、ボールの乗った板を傾けて進行方向を誘導し最後の穴に落とし込むものがあり、このアイデアをそのままコンピュータで、床のイメージの迷路上に再現する高度な人工知能的作品です。床の上には確かに迷路が投影され、転がるボールも見えて、その上に観客が立つと、まるで床面全体が人物の位置に重心をかけたように傾きはじめ、それにつれてボールも低い方に転がり始めます。そこで自分の位置を移動しながら全体の傾きを調節し、ボールを次第に迷路の出口に向かって誘導していくゲームです。現実には床の傾斜は生じていないのに、視覚的に傾きを錯覚してしまう仮想現実的体験の作品でもあります。コンピュータによる高速度計算によって、観客位置から重心を割り出し、ボールを移動させる知的作品で、このインターフェイスのプログラムには学生2 人が参加して、挑戦しています。
[古典絵画の暗喩的作品]
最後に展開する大型作品が、スタジオ?アッズーロの『戦いの断片』。床に掘られた4 つの矩形の穴を満たした水、砂、落葉の山、深い竹藪は、観客が気付かないと、いつまでもそのままの状態を保っています。しかし、その一つの穴の近くで観客が声を出すと、次の瞬間水や砂場や落葉の穴のなかから、人体が格闘しながら飛び出してくるのに、びっくりさせられます。その人体は互いに手足をからませながら、虚空をうってひっくり返るなど、激しいアクロバット的な展開をみせます。一か所の格闘のシーンも多彩で、その迫力は、この種のメディア?アート展のなかでも異色です。じつはこの作品、1996年に、イタリアの都市ルッカの古い城塞の跡のなかで行われた展覧会『戦いのすべて』のなかで展示された大がかりな作品のなかの一部で、ここでは全部で十数点の作品のなかから4点の連作だけを紹介しています。このテーマはスタジオ?アッズーロのチームが、15世紀のイタリアの画家パオロ?ウッチェッロの作品『サン?ロマーノの戦い』をヒントに考え出し、インスタレーション作品に仕立てたものです。『サン?ロマーノの戦い』は、当時の戦闘に登場する騎士や馬や武器の林立する風景を描いたものですが、その構図は、全体の活動的な動きを一瞬制止させ、一見カリカチュア化して見せるような心理的効果をもっていました。しかも、その作品制作を依頼したルッカの町は古い城塞都市で、町の回りに高い城壁をめぐらせて外敵をさけてきたために、侵入もほとんど受けず、平和な町であったそうです。チームは、学生時代からファンであったウッチェロの作品のそんな絵の効果や、展示会場となった城塞のあとの独特な雰囲気から触発されて、絵の一見凍結した動きを、観客参加で、なめらかな動きに変容するビデオ作品として見せようと試みたようです。それは同時に、人間の戦争と平和のアイロニーを風刺しているようにも思えます。制作に当たっては、何人もの俳優を使って、はだかの人体の格闘シーンを演出していますが、ここには人類誕生以来、今日のハイテックの戦争にいたるまで、あらゆる戦闘の根源にある人間の闘争本能や、結局は機械そのものの優劣よりも、瞬時の人間の決断や応答の速さがものをいう闘争の実体を、むしろ暗喩的にとらえているようにさえ思えます。同時に、一種のバレエのシーンのように絡み合う美しい肢体の交錯を鑑賞することもできるでしょう。この部屋の突き当たりには、ルッカの会場の一番奥の巨大な柱の壁面に投影されたスタジオ?アッズーロの制作によるコラージュ的なビデオ作品も流しています。これはパオロ?ウッチェロの原画( ウフィッツィ美術館所蔵) の上に、彼らの制作したこの人体像の動きや、馬の動きなどをコラージュとして描いた作品で、それ自身が一つの映像作品でもあります。イタリアの歴史や文化、とくに絵画史までを参照にして初めてその屈折した意味を感じとることのできる、新しいインタラクティブ?アートで、今回の展覧会の異色作。これからのインタラクティブ?アートの未来について考えるときの、恰好の問題提起ともなるでしょう。
現代のインタラクティブ?アートは、こんな出品作品でもお分かりのように、いまでは私たちの日常の意識の領域にまで入り込み、人々のもっている根源的な時間?空 間の意識や言語や行動心理にまで関わる新しい表現活動にまで発展しはじめています。 一見ゲームにも似ながらそこに留まらず、未来の精神文化にも影響するパワーをもち はじめています。しかもこれらのインターフェイス?デザインや開発を支える技術に は、明日の家庭生活や社会環境にも直接、間接に貢献していける可能性があります。 現代の情報化産業は、ともすれば現実的で近視眼的に走りがちですが、これからの人 類の共生環境のゆくえまでを考えていくと、人間の感性や知恵を融合させるこんなメ ディアの新しい分野への展開も、もっと重要になってくると思います。今回の展覧会 を通じて、そんな意味や可能性を少しでも汲み取っていただければ、幸いです。
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