INTERVIEW 028
GRADUATE
おおしまたくろう
サウンドマン/2017年修了
「音楽で、当たり前とされている“定規”を変えたい」
身近なノイズと向き合い、音楽や楽器の名を借りた遊びやユーモアによってノイジーなものを可笑しく表現することを追求しているおおしまたくろうさん。その創作の原点、そして原動力について、クワクボリョウタ教授が聞きました。
コロナ禍で得た気づきを作品に活かす
クワクボ:最も新しい作品は「耳奏耳(みみそうじ)シリーズ」ですか。
おおしま:はい。今は耳型の自作マイク装置に関心を持っています。
ここ数年は主に「滑琴(かっきん)」というスケートボードとエレキギターを合体させた創作楽器を中心に作品を発表してきました。スケートボードのように滑琴の上に乗って走行することで、路面の凹凸により弦を振動させて発音させるもので、アンプで出した音に街の環境音を取り入れながらライブ配信するというパフォーマンスをしています。「擬似耳(ぎじじ)」は、滑琴に乗る時に背負うギターアンプ「響筐(きょうきょう)」の一部で、僕の耳を3Dスキャンして制作しました。大きな耳たぶがチャームポイントです。
クワクボ:耳の中にマイクが入っているのですか。
おおしま:はい、ワイヤレスのマイクが入っています。
コロナ禍でライブパフォーマンスを全くできなかった時期があり、オンラインでのパフォーマンスを何度か試みました。その時にマイキングの大切さに気がついたんです。マイクのわずかな位置や角度の違いによって、収録音にかなり影響が出ます。だけどあまり意識されていない。普通はマイクを映像に極力映らないようにするものですが、マイキングの大切さを伝えるために、マイクを耳型に造形して、映像の中で存在感をアピールするのも面白いかなと考えました。疑似耳はその延長です。
クワクボ:YouTubeに上がっていた「帰省されるイヤー」も面白かったです。
おおしま:昨年のGWは緊急事態宣言が出ていて、親への感染リスクを考慮して帰省ができなかったので、耳型マイクを実家に送って、僕の耳だけ里帰りしました。
親は左耳、僕は右耳をもって、それぞれ耳かきをしている映像を撮ってオンラインで配信しました。イヤホンを着けて視聴すると、左の耳の音はL(左)に、右の耳の音はR(右)に音が流れるようになっています。
クワクボ:それはすごいね。
おおしま:そうなんですよ。もっと注目されていいと自分では思っているんですけど(笑)、まだまだ認知されていなくて……。
クワクボ:お母さんの使っている耳かきも大きくて楽しいよね。
おおしま:あれは母が用意してくれました。サウンドやユーモラスな装置を介して両親とコミュニケーションを取ったり、擬似的に身体を接触させるパフォーマンスですが、コロナ禍で遠方の家族と一緒に何かしたいと考える人も多かったと思うので、そうした社会課題を反映しました。コロナ禍でようやく自分らしい作品が作れたという手応えがありましたね。
クワクボ:耳が倒れているから、マルセル?デュシャンの「泉」みたいだよね。
おおしま:そう言われれば、そうですね。
クワクボ:リモートで何かしようとすると、多くの場合は言語を使ってやりとりをしがちで、それゆえの難しさがあると感じていました。でもおおしまくんの耳かきパフォーマンスは、言葉ではないものを使ってコミュニケーションを取ろうとしている。リモートだからといって何も制限されていないのが興味深いですね。
今日はおおしまくんにコロナ禍を経験したことでどのような発想を得たかを聞こうと考えていたんだけど、早速その話が聞けてよかったです。
おおしま:環境が変わっても、それに適応しながら工夫してやっていくしかないと思っているので。
クワクボ:そうだよね。生き物ってその環境に合わせて世界像を構築していくものだからね。
今のIAMASに2つ欲しいものがあって。コンクリートの床と高い壁なんですけど、それだけの空間が用意されるだけで何かが変わると思うんだよね。
おおしま:それはありますね。ちょうど僕が入学する前に、IAMASがソフトピアジャパンに移ったのですが、確かに移転以前と比べると作品のスケールに違いがある気がします。
僕はIAMAS在籍中にずっとテーブルベースで作品を作っていたので、インスタレーションを作るようになって、どう考えていいのか苦戦しています。
クワクボ:スケートボードで滑って音を録るって街全体が制作環境で、すごいスケールだからね。
おおしま:卒業後の環境の変化という意味では、振付家?ダンサーの山下残(やました?ざん)さんとコラボレーションする機会をいただき、舞台芸術と関わるようになったことも大きいです。舞台芸術はチームでの表現だと思うので、ひとりでは実現できない規模の作品を発想できるようになったり、現場のスタッフとのコミュニケーションの取り方を隣で学ぶことができました。
クワクボ:おおしまくんはどんなことをしているのですか。
おおしま:舞台作品で使用する音響装置の提供がメインですが、「インヴィテーション」という作品では役者をやりながら、音響を担当しました。
クワクボ:役者ということは、台本もあるのですか。
おおしま:台本はありますが、僕は吃音があるので、セリフが詰まっても構わないと言われています。言えない言葉があったりして大変ですけど、それを僕の佇まいとして「いいね」と言ってくれる方もいます。
自分の中で吃音はずっと身近なノイズで、日常生活のなかで僕を苦しめるものであり、作品のテーマを考える上では大事な部分でもあったのですが、徐々に折り合いをつけられるようになってきたのかもしれません。
役者をするという経験がなければ、「帰省されるイヤー」で自分の吃っている姿をそのままパフォーマンスとして見せることはできなかったと思います。
「自分のサウンドを鳴らしたい」という原点
クワクボ:IAMASを卒業してから、コロナ禍にもかかわらず、活動の幅を広げているのは素晴らしいですよね。おおしま君は最終的に何を目指しているのですか。
おおしま:ひとつは、音楽や楽器という名前を借りつつ、ノイジーなものをユーモラスに表現して、世の中で当たり前とされている「定規」を変えようとしています。もうひとつは、世界一のサウンドマンになるのが目標です。バンドマンのようにサウンド活動を自己実現の手段とする人をサウンドマンと呼びたいのですが、「サウンドマンがかっこいい」と中高生に言われる時代が来ればいいなと思っています。自分自身もサウンドの質感が印象的なものや聴取に着目したものに影響を受けて育ってきましたから。
クワクボ:例えばどのような影響ですか。
おおしま:ニルヴァーナとアルヴィン?ルシエです。
家族が音楽に詳しくて、いろいろな音楽を聴いていたのですが、10代になると「家族の誰も聞いていない音楽を聴くぞ!」という音楽的自立の意識が芽生えて、消去法で残った音楽がニルヴァーナだったんです。
アコースティックギターで真似するところから始めたんですけど、全然ニルヴァーナっぽくならなくて。そこでエレキギターを手に入れて、ニルヴァーナが使っていたものと同じエフェクターを通してみると、一気に彼らのサウンドに近づきました。このころから音楽を聴くことよりも、装置を使ってユニークなサウンドを鳴らすこと?聴くことに楽しさを覚えるようになりました。やがて、自作のエフェクターや発振器を作るようになりました。
クワクボ:アルヴィン?ルシエからはどんな影響を受けたのですか。
おおしま:アルヴィン?ルシエも吃音症を患っていて、「I Am Sitting in a Room」という作品では録音機の操作によって作家自身の吃音の声が心地よいサウンドに変化していくのですが、音響的な美しさだけでなく精神的な強さも感じられ、それまで聴いてきたポップソングとは一線を画す実験音楽の世界に強いショックを受けました。
また高専では工学を学んでいたので、音響工学に則ったシンプルなプロセスから豊かなサウンドを導き出すことや、自作の音響システムからオリジナリティのある音楽を作っているところに興味を惹かれて、音楽を専門に勉強してこなかったけれど自分もやってみたいと思いました。
クワクボ:エフェクターの存在が大きいということですね。
おおしま:あとは、京都にあるパララックス?レコードというアバンギャルド系のレコード屋さんに出会ったのも大きいですね。アルヴィン?ルシエもそこで紹介してもらいました。ニルヴァーナとは音楽性が全く違っているけど、両者は装置を通じて自らのサウンドを手にしている共通点があります。一見すると異なるジャンルの音楽家ですが、彼らが交わる場所で僕も自分のサウンドを手に入れたいと考えたのです。
クワクボ:なるほど。
おおしま:僕は吃音症ということもあって、自分の言いたいことをうまく発話できず、別の言葉に言い換えて話しているので、頭で考えていることと声として表に出るものが捻じ曲がっている感覚がずっとあります。でも、音楽だとそれがもっと直接的に、リアルタイムに鳴らせる。だから「自分のサウンドで鳴らすんだ!」という思いを強く持っています。
クワクボ:なるほど。自分の声の延長としてのサウンド装置によるパフォーマンスなんですね。
おおしま君のやっていることって、一貫して音に関わることなのに、いわゆる音楽の制作とは違っていて、ねじれの関係にあるように感じていました。今の話を聞いてその理由が少し分かった気がします。
環境によってノイズの概念は変わる
クワクボ:一度海外で活動してみるのも面白いかもしれないね。ノイズの範疇や音楽の“制度”のあり方は国によって全く異なるので、特に東南アジアやインドあたりがおすすめですよ。
僕がインドで展示していた時に、すごく印象に残っていることがあって。ある日、現地コーディネーターのバッグのチャックが壊れて、駅前にたくさん座っている靴磨きのおじちゃんのところに持っていったら直してくれたんだよ。「チャックって直るんだ!」って驚いて。他にも、かばんの傷をろうそくみたいなものできれいにするおじちゃんがいたりとか。傷とか故障とかに対して、全然「直る、直る」みたいな空気があるんだよね。
おおしま:そんなことは全然ノイズじゃないっていう空気なんですね。
クワクボ:そうなんです。
おおしま:それで言うと、「音遊びの会 x山下残」に参加した時に、ノイズの概念を揺さぶられる経験をしました。障害のあるメンバーなど、さまざまなバックグラウンドを持つ人たちと自由に音を出し合ったことで、自分の方がノイズじゃなくなったような感覚があったんです。そう考えると、自分の作品を海外に持っていった時に、逆に“制度”側になる可能性もあるわけですよね。
クワクボ:オリンピックで選手の服装が問題になったことがありましたよね。オリンピックはエスタブリッシュされた世界だけど、新競技としてオリンピックで実施されるようになったアーバンスポーツは、もともとは先ほどの話で言うところのノイズの方なわけです。その文化圏であれば、それが普通であって、オリンピックの側の制度に当てはめて批判される筋合いはないわけですよね。
おおしま:スケートボードも東京オリンピックの効果で人気が高まったんですけど、実際には禁止の場所が多くて、街中から追い出されてしまっている。かつてはエレキギターも騒音や風紀の観点から教育委員会により禁止されていましたし、文化として根付くまでにはライブハウスなどの環境整備や周辺機器の進化が必要だったわけです。今のスケートボードをめぐる諸問題も、スケートパークの設置などの環境整備に向けた共生議論が始まるまでのコンフリクションの時期特有のものなのかと。
環境や価値がどんどん変化していく一方で、人のメンタリティは変化に追いついていない。そういう意味では、今は面白い状況にあるなと捉えています。
クワクボ:最後に、今後の展望についてお聞かせください。
おおしま:来年の1月に、秋田市文化創造館をベースに滑琴を用いたパフォーマンスをする予定です。1月の秋田は真冬。普通のスケートボードは雪の中を走ることができないので、秋田市文化創造館の室内に滑琴用のスケートパークを作りたいと考えています。ライブハウスみたいな感じで、秋田のスケートボーダーの方と一緒に大きな音で演走(えんそう)してみたいと構想しています。また雪の中でも走ることのできる滑琴「雪滑琴(ゆきかっきん)」も開発して、冬の秋田を演走したいです。
クワクボ:コロナが終息したら、どこか海外のアーティスト?イン?レジデンスに行けたらいいよね。
おおしま:正直、アーティストの皆さんがどうやって生活しているのか見えないんですよね。現職は長い間休むことも難しいですし、作品も給料を切り詰めて作っている状況なので。クワクボさんはどうされていましたか。
クワクボ:僕は、展示をひたすらたくさんする感じでやっていましたね。同時にいくつも、ほとんどライブをするみたいな感覚で展示を続けないと成り立たなかった。
おおしま:すごいですね。IAMASを卒業してから、アーティストとして活動している人たちのバイタリティに感心しています。
クワクボ:今、IAMASの社会人短期コースにも、長く活動していて面白い経歴の人たちが在籍しているので、ぜひ会ってみてほしいです。経済面のことを聞くのもいいし、バイタリティもすごいので、話をしてみるといいと思いますよ。
おおしま:そうですね。ありがとうございます。皆さんの話を参考に、今後のことも考えてみます。
クワクボ:これからのご活躍を楽しみにしています。
取材: メロディ?ショップ大垣
編集:山田智子 / 写真:大越円香