INTERVIEW 011 【後編】
GRADUATE
YCAM インターラボ スタッフ
菅沼聖(エデュケーター)、北堀あすみ(コーディネーター)、石川琢也(エデュケーター)
YCAMの横にIAMASが建てば、理想的です(笑)
前回に引き続き、今回も山口情報芸術センター(以下YCAM)インターラボスタッフと平林真実教授の対談をお届けします。後編は、教育普及プログラムを担当するエデュケーターの菅沼聖さん、石川琢也さんと、展覧会やプロジェクトにまつわる進行管理や制作のサポートを担当するコーディネーターの北堀あすみさんに話を伺いました。
地域の問題を解決するのではなく、
新たな価値を発見する文化施設
平林:まずは、皆さんがYCAMで主にどのような仕事を担当しているか聞かせてください。
菅沼:石川さんと僕はエデュケーターとして教育普及事業を担当しています。YCAMには現在5名のエデュケーターが勤務しています。約30人のスタッフのうち、2割がエデュケーターというのは他館と比べても突出して多いです。教育への取り組みに対してはそれだけ開館当初から力を入れてきたということです。開館した2003年の時点では、山口はもちろん社会全体でも「メディアアートって何?」みたいな雰囲気があったので、地域社会に対して理解を促していくことや、単純に活動を知ってもらうことがとても重要だったのだと思います。
僕はエデュケーションの全体を見るディレクター的な立場で、石川さんは実際にプレーヤーとして企画を考えたり、実施したりしています。
北堀:私はコーディネーターという立場で、YCAMが実施している展覧会や公演など色々な事業に参画して、制作に必要な調整をしています。YCAMは基本的に新しい作品を制作して、ここで発表するというのを中心的な事業に据えていますので、アーティスト以外にもプログラマーやリサーチャーなど、制作に携わる多くの方が来館されます。なので例えば、そうしたゲストのみなさんの宿泊や交通の手配ですとか、スケジュールの管理などがコーディネーターとしての重要な業務のひとつになっています。石川さんや菅沼さんのように自分でイベントなどの企画を立案するというよりは、そうした企画を立てるスタッフに協力して彼らが円滑に業務を進められるようにする役割です。
コーディネーターという役割は、YCAMのなかでは比較的歴史が浅く、2013年に開催した「YCAM10周年記念祭」に際して設けられるようになりました。
菅沼:大きな事業になると、コーディネーターがいないと絶対に回らないんです。仕事の範囲も広いので、本当に大変な仕事だなと思っています。
平林:展覧会やイベントをする時など、テクニカルのチームと学芸のチームどちらが主体で引っ張っているのですか?
菅沼:テクニカルとの連携には濃淡があって、一概にどちらが引っ張っていくというのはありません。例えば、近年はバイオテクノロジーを応用した事業をいくつか実施しているのですが、こうした事業の実施にはR&D(研究開発:Research & Development)の要素が欠かせません。こうしたものはテクニカルが引っ張っていくことが多いです。一方で機材のセッティングだけをお願いするだけという事業もあります。
例えば、前回のインタビューに登場した、IAMASのOBで現在はYCAMで音響エンジニアを務めている中上(淳二)さんは、ライブコンサートやパフォーミングアーツの公演などで音響エンジニアとしてスピーカーのセッティングやPAを担当している一方で、最近は人工知能の研究もしています。アーティストの表現のサポートにも携わりながら、しっかりと技術研究を続ける。このふたつをずっと掛け持ちでやっているのがYCAMの特徴だと感じています。
平林:YCAMで行なわれている様々な事業とはどのような形で決まるのですか?
菅沼:夏や秋に展覧会があって、教育普及プログラムは通年に渡って実施、といったように、事業の数や開催時期はある程度フォーマット化されています。その中で、YCAMが作り上げてきたコンテクストや予算規模に見合った適切なものをそれぞれの担当者が練り上げていくというスタイルです。
石川:一応、年度ごとと中期的な目標が設定されているので、それに沿って事業は企画するようになっています。例えばここ数年はバイオテクノロジーに力を入れていますが、それもそういう流れに沿ったものです。
YCAMとバイオテクノロジーの関係を紐解くと、2015年にバイオテクノロジー系の機材を揃えたスペースを開設して、以降、市民を含めた色々な方とのネットワークを作ってきました。また、2016年には「森のDNA図鑑」という教育プログラムの開発もおこない、従来に無いかたちで一般市民とバイオテクノロジーとのタッチポイントをつくる活動もおこなっています。ただ、「普及」のフェーズはもう終わったと考えています。それを最後にアートに落とし込むということで、2019年にはアーティスト集団のcontact Gonzoと一緒にバイオテクノロジーを用いた作品制作に挑みます。化粧品開発とかではなく、表現に落とし込むことがYCAMの存在意義だと思っているので、最終的にアートへと持っていきます。
菅沼:僕はごろごろ転がって、結果として化粧品になるのはいいなあと思うんですけど……。
石川:結果としてそうなるのはいいのですが、プロジェクトの出発点から化粧品を目指すのは企業のやり方。YCAMは芸術表現、文化を基盤としている組織なので、そこは絶対に変えちゃいけないなと思います。
菅沼:それはそうですね。YCAMは地域の経済や産業に横たわる課題を直接的に解決するための施設ではないので。
平林:どちらかというと、問題を提起する方だよね。
菅沼:そうですね。ただ、ここで行なったことが巡り巡って何かを解決する可能性はあると思いますし、もちろん僕らもその可能性を見据えてはいます。
誰と一緒にやったらおもしろいかを常に考える
コラボレーションのラボ
平林:話が前後しますが、3人はIAMASからはどのような経緯でYCAMに来ることになったのですか?
石川:僕は10周年記念祭の時に一度YCAMに来ていて、そこで当時、隣接する中央公園で開催されていた「コロガルパビリオン」を見て、すごく感動したんですよ。
2015年にIAMASを修了した後は、岐阜で1年ほど一人で活動していたのですが、もう少し大きなスケールでやりたいなと考えていました。そんな時にちょうどYCAMでエデュケーターの募集がありました。地方における生き方の選択肢が多様になることで、土地にある様々な物事をハックしていく仕事や能力が、今後必要になってくるだろうと在学中から考えていて、それが今一番面白くできる場所のひとつがYCAMだと思い、応募し、2016年からYCAMで働くようになりました。
北堀:私も石川さんと同じ時期、2016年からYCAMで働いています。
もともと身体表現に興味があり、IAMASの1年生の時にYCAMが開催した「RAMサマーキャンプ2014」という身体とテクノロジーに関する集中ワークショップに参加し、それでYCAMのことを知りました。IAMASを修了した後進路について考えていたときに、石川さんから声をかけていただいて、YCAMの活動には興味を持っていたので、二つ返事で「行きます」と。私が参加した「RAMサマーキャンプ2014」は、「RAM」というYCAMの研究開発プロジェクトの一環として開催したものだったのですが、私がYCAMで働くようになってから、「Perception Engineering(パーセプション?エンジニアリング)」というRAMを発展させた新しいプロジェクトのコーディネーションをすることになり、企画に近いところから見える風景は、参加者とはまた違い、感慨深いものがありました。
石川:YCAMで働く前にYCAMの事業に参加していたという話で言うと、僕もYCAMが2014年に開催した「RADLOCAL」というコミュニティデザインに関する集中ワークショップの参加者でした。そして、働くようになってから2016年に開催した「RADLOCAL2」では企画を担当して、確かに感慨深いものはありました。
菅沼:僕は1回目の「RADLOCAL」の企画者のひとりで、その当時に考えていたことのひとつに参加者の中からYCAMのスタッフが欲しいなあというのはありました。
平林:つまり開館10周年を機に、地域コミュニティの問題に取り組むスタッフが必要になったということですか。
菅沼:そうです。YCAMは2018年に開館から15周年を迎えたのですが、5年単位で活動を区切っているようなところがあり、それぞれ色々な舵を切ってきたと思っています。作品制作を主軸に据えていた時もあれば、教育やコミュニティに比重を移している時もある。
自分は働きはじめて10年目なので、最初の5年は見ていないのですが、この10年の間にもかなり変わってきていますね。変わることと続けることが両立できている、とてもポジティブな組織だと思います。
平林:菅沼さんはどういう経緯でYCAMに来たのですか?
菅沼:YCAMのスタッフ募集情報を教えてくれたIAMASの同級生と一緒に面接を受けました。2008年の「ミニマム インターフェース展」を手伝った時にYCAMには一度来ていて、おもしろい場所だなとは思っていたのですが、当時は教育普及という職業のことを何も知らなかったので採用されるとは全く思っていませんでした。
面接の時に(会田)大也さんから「感動したことを話してください」と言われて、自分はエベレストに登った時の話をしたら、受けが良かった。エデュケーターには感動をどう人に伝えるかという能力がとても大切なので、それが採用された理由かなと思っています。
北堀:IAMASからYCAMにきて一番変わったのは、いろんな人と一緒にプロジェクトをするようになったことです。YCAMの特徴は、今誰と一緒にコラボレーションすると一番面白いかを常に考えていること。そして、それを実現するために必要な研究をYCAMがしっかりとおこなっていることです。これがずっと続くといいなと思います。
“実験性“をどう社会に実装するか
その核を担うのがYCAM
平林:YCAMは15周年を迎えましたが、文化をつくることができていると思いますか?
石川:2018年の夏に「メディアアートの輪廻転生」という展覧会と、「コロガル公園コモンズ」というメディアテクノロジーを埋め込んだ子ども向けの公園を同時期に開催したんですけど、そうすると子どもたちが意味も分からず、ふらふらと展覧会を見る。そういうかたちで意味の分からないもの、しかし強度のあるものに接する機会を提供できていると思っています。そういうところから文化は生まれるのではないでしょうか。
菅沼:「コロガル公園シリーズ」は、一番初めの2012年の「コロガル公園」から形を変えながら6回もやっていて、最初に参加した子どもたちがいまでは中学生、高校生になっている。彼らはさすがにもう「コロガル公園コモンズ」では遊ばないけど、YCAMが開催するライブコンサートに参加する子もいたりする。そういう繋がりが文化になるということなのかなと思っています。
石川:YCAMに来る人だけじゃなくて、YCAMに来たことはないけど、その理念とか活動に影響を受ける人を増やすことを目的に、2年前からは小学校と連携した取り組みも始めています。小学校の授業でYCAMが開発した教育プログラムを実施するとか、そういう状況を実現することでYCAMが遍在する状態を作れるように動いています。
菅沼:YCAMのひとつの目標は、YCAMの理念を社会に広く伝えることです。つまり、YCAMはいわゆる「実験性」というものをどう社会に実装するかの核だと思うんです。学校もその筆頭ですが、「挑戦してやろう」というマインドが様々な忖度や圧力によって削がれているような社会では、管理する側は楽だけど、管理されている側の主体性は伸びにくい。都市にも地方にも、そういう雰囲気に支配されている社会構造がいたるところにある。硬直した社会の中で、どうやって実験性を肯定できるか。
ラボ機能を持つYCAMは「実験性」を伝える拠点として大きな可能性を持っています。例えばYCAMのような文化施設ができることとして、アート制作にまつわる評価や応用の手法を新たに見つけることや行政と協力して文化政策のあり方を拡張していくこともその一歩なのだと思います。僕はその核になる拠点がYCAMであり、ラボだと思っています。
菅沼:それを実現するためにはつねに複合的で、領域横断的で、今日的である必要があります。2018年10月に開催した「YCAMオープンラボ2018:グッドセンスなラボ」というイベントでは、サンフランシスコの〈エクスプラトリウム〉や、ニューヨークの〈School for Poetic Computation(SFPC)〉といった、いま面白い実験をおこなっている施設や組織を招聘して、ディスカッションを行いました。イベント名にある「グッドセンス」とは「中庸」という意味です。市民がどうしたらグッドセンスと付き合っていけるかを考えるのが僕の仕事だと思っています。つまり、1%のイノベーションの起こし手ではなく、99%の市井の人たち、受け手をどう盛り上げていけるのか、そういうコンテンツはどうしたら作り続けられるのか。「コロガル公園シリーズ」もそうだし、近年取り組んでいる「スポーツハッカソン」というイベントもそう。バイオテクノロジーの応用や学校との連携に取り組むのもそうです。そういう生態系を作っていかないと文化は続いていかない。
平林:YCAMに触れて育った子どもたちが大きくなった時に、そういう実験的な精神を持って活動できるようになれば、一回りした、文化になったということになるのかな?
菅沼:そう思います。だからIAMASがYCAMの横にあれば一番良い訳ですよ(笑)。発達過程における基礎的な部分「感じる、考える」という力はYCAMではぐくめると思うのですが、そこから自分たちで「つくる」という部分には今のYCAMの体制では対応できていない。一方で、IAMASはつくる力をはぐくむ体制やノウハウがある。だから僕はIAMASをここに作りたいです。
石川:興味を持った子たちがたくさん来るんですけど、現状ではその子たちの「つくりたい」という欲求をまだ満たせていない。新しいかたちの寺子屋みたいな受け皿となる機能がYCAMにあるといいなと思いますね。
菅沼:卒業後、「学校」というシステムは本当によくできているなぁとしみじみ感じます。その中でもIAMASは柔軟性、先進性、領域横断性がとびぬけて高く、外の立場からみていてあらためて学ぶことが多いです。