INTERVIEW 023 【前編】
GRADUATE
内田聖良
コンテンポラリーサーキットベンダー, 美術家/2014年修了
サーキットベンディング的手法で、既存の社会概念を転換させる
自らを「ポスト?インターネット時代のベンダー」と名乗り、サーキットベンディング的な手法を用いて、既存のシステムを作り変え、その「枠」の外に新たな価値観を生み出す研究?制作を続ける内田聖良さん。
今回は前編?後編の2回に分けて、前林明次教授がじっくりと話を伺いました。前編では「余白書店」に至るまでの原点、IAMASでの考え方の変化についてお届けします。
「自分の価値を表現する」=「自分の余白をつくる」
前林:内田さんの作品を見ていると、IAMAS在学中から現在までその背景にある考え方に継続したものがあると感じます。修士研究として取り組んだ「余白書店」は、社会的な背景に対して問題意識を持って取り組んでいたと思うのですが、制作?研究、論文に至るまでの繋がりを振り返っていただけますか。
内田:IAMASに入学する前から、「余白ネットワーク」というプロジェクトを立ち上げて、5?6人のチームで活動していました。余白というテーマ自体はIAMASに来る以前から既にあって、その延長線上のバリエーションのひとつとして「余白書店」は生まれました。
前林:「余白ネットワーク」はどのようなプロジェクトだったのですか。
内田:「余白ネットワーク」の考えはミシェル?ド?セルトー『日常的実践のポイエティーク』という本に大きな影響を受けました。セルトーはこの本の中で歩行者の話をしています。例えば、まちなかを歩く歩行者は、設計者の意図通りに一番わかりやすい広い道を通るわけではありません。通りの名前が好きだから、とか、広い道を歩きたい気分じゃないとか、実際には街は(設計した人の意図とはうらはらに)それぞれの人によって様々に歩かれている。歩行者は道路を作り変えることはできないけれど、歩き方によって自分好みの空間を作っている、というのです。当時、東京が活動拠点だった私達は、設計された広い道路のように、価値基準や行動規範が大きなシステムによって決められているように感じる生活の中で、そこからはみ出て、自分自身の感覚や気分によって生まれる活動=「余白」こそ、その人自身を満たすための切実で、生き生きとした領域であると定義し、経済や他者の要請に基づかない「自分のための」活動を行う個人による、緩いネットワークをはじめました。活動は2015年まで行っていて、メンバー個人や複数名が協同するなどして「余白書店」誕生前には「余白散歩」や「余白人生ゲーム」などの活動を行ってきました。
前林:IAMASはいわゆる「メディアアート」の学校で、「余白ネットワーク」での活動とは直接結びつかないような印象も受けるのですが、そこでの活動はIAMASに入学する動機とどのように関わっていたのですか。それともIAMASでは全く別の制作をしようと考えていたのですか。
内田:すごく関わっています。「余白ネットワーク」が生まれたのはテクノロジーに関して私が大きなショックを受けた経験があったからなんです。「横浜国際映像祭2009-CREAM」というイベントにボランティアとして参加したとき、参加作家の蔭山ヅルさん(
そこから、自分が専門家になりその構造を再生産するのとは別の方法でテクノロジーとの関係を作ることはできないかと考えるようになり、秋葉原にいる、ある分野に特化した知識や技術を持つ人たちと緩やかにつながる「秋葉原ネットワーク」を立ち上げました。活動の中で秋葉原に通う「オタク」と呼ばれる人たちの、自分を満たすための活動の切実さや、そのためにかける情熱にインスパイアされて、「余白ネットワーク」に発展しました。
前林:なるほど。内田さんは“ベンダー”という肩書きで、いわゆるサーキットベンディング的な手法で作品を制作していますが、そのルーツはIAMAS以前の活動にあったのだと興味深く聞きました。
内田:実は私はIAMASを2回受験しているんです。1度目は大学4年生の時です。アートイベントを手伝う機会があって、そこでIAMASの卒業生の田中健司さんのプロジェクションマッピングを見て、光というメディウムが場に起こすその場限りの関係性に魅力を感じ、受験しました。でも、当時の美大ではプレゼンの授業がなくて、その時までプレゼンというものを殆どやったことがなかったんです!言語化をどうやったらいいのか全然わからなくて。卒制もまだできていない時期だったので、やりたいことの例として見せられるものもなく、あえなく不合格(笑)。その後再受験するかどうかは決めていませんでしたが、「余白ネットワーク」の活動をする中で、自分のやりたい方向も明確になってきたので、2年後に再受験しました。あまりにも言語化が下手だったので、落ちたあとに小学生が通う塾に行って、特別枠で文章を見てもらって特訓したんですよ(笑)。
テクノロジーとの対立から共存へ
前林:「余白」というテーマの起点は入学以前にあったということですが、IAMASで2年間を過ごして、活動や制作はどのように広がりましたか。例えば別のことに興味が出てきたというようなこともあると思うのですが…。
内田:一番変わったのは考え方ですね。それまではテクノロジーを使う側の人は「弱者」で、設計者、スペシャリストに対抗しなければいけないというような対立構造の片側に自分を置いていたのですが、入学して最初のモチーフワークで様々なジャンルの人からの幅広い意見を聞いて、その考え方に変化が生まれました。
例えばSNSの「いいね!」ボタンを押すだけでも、それがデータ化されて、他の人が見ている広告に作用する。自分が行ったと認識している行為以上に、大きな何かが動いている。それまでの「打倒スペシャリスト」みたいな対立姿勢だけでなく、もっと広い視点でメディアやテクノロジーについて考えなければいけないのではないかと、自分の姿勢が変化したことは最も印象に残っています。
前林:それはすごく嬉しい話ですね。あの年のモチーフワークは参加者それぞれの考えを最終的に糸で繋ぐというものだったと思うのですが、僕とジェームズ先生で色々と考えて、授業のやり方を提案したんですよ。
IAMASの面白いところは、おそらく異分野の人が集まってくるところだろうと。異なる背景を持った人が議論を通じてつながるというのは時間が必要で大変なことですが、それをざっくりと糸で結びつけて、つながる「可能性」を可視化することを試みました。
内田:先輩から、モチーフワークはグループワークで泣きだす人がたくさん出るハードな授業だと聞いていたので少し恐れていたのですが、今年は違うんだねとみんなで安心した記憶があります(笑)。
前林:僕とジェームズ先生が糸で表現しようとした異分野の繋がりが、内田さんの中でも対立からリンク?連携への考え方の変化に重なっていたと捉えると、とても嬉しいです。
入学したばかりの4月の段階でモチーフワークを体験して、自分の考え方が変わっていく中で、学校に対するイメージも変化したのではないかと思うのですが、入学前の予想と違っていたことはありますか。
内田:それまではずっと関東に住んでいたので、週に一度も電車に乗らないことがないような生活をしていたのですが、大垣ではそれが普通で、最初はどこにも行けないことに少しフラストレーションが溜まっていました。
一方で、広告などの情報をあふれるほど目にしなければいけない環境から距離を置きたい、情報を遮断したいという気持ちもあったので、東京とは真逆の、自分から興味のある情報を探しにいかなければならないという体験は新鮮に感じました。
前林:なるほど。他にはありますか。
内田:あとは、美術大学とはやはり少し学生の質が違って、美術やプログラミングというジャンルの中で頂点を極めようと言うよりは少しはみ出ている人が多いというか、既存のジャンルの枠からはみ出ている感じが共通している印象を受けました。「余白ネットワーク」でも「枠外感」ということをテーマにしていたこともあって、私は美大にいる時より自由に発言できるような気がして、開放的な気持ちになりました。
前林:ジャンルが違う人と一緒に共同活動をする機会はありましたか。
内田:ジャンルが違うとまでは言えないかもしれないですけど、同期の清水都花さんと「凡人ユニット」としてパフォーマンスや展示を行いました。その時に大石(桂誉)君や石郷(祐介)さんにプログラミングや電子工作を教えてもらったり、中上(淳二)さんや酒井(亮)君に「凡おどり」曲を作ってもらったり、身近な人にやりたいことをどうしたら実現できるか相談したり、技術的なサポートをお願いしたりしました。
前林:「凡人ユニット」はどのように生まれたのですか。
内田:清水さんとは授業のグループワークが一緒で、席も隣だったんですよ。授業の課題でボツになった案があったんですが、私たち的には面白いと思っていて、「いつかやりたいね」と話をしていました。ちょうど一ヶ月後ぐらい(?)に「Maker Faire」があって、「出しちゃおう!」と結構、勢いで始めました。
前林:そういう意味では「Maker Faire」もチャンスになっていたのですね。ノリで始めたというわりには、結構長く続いていますよね。
内田:そうですよね(笑)。結成は2012年、これまでに京都府福知山、岐阜県大垣、東京、ドイツのハンブルグ、秋田などで発表をしてきました。2017年までは「凡人ユニット」としての活動がメインになっていましたね。
「凡人ユニット」は、あるテーマに基づいてインタビューをして、様々な人の「動き」を集め、それを組み合わせて振り付けとする「凡人の身体でつくる踊り=凡おどり」を制作し、パフォーマンスや展示をするユニットです。アマチュアイズムを前面に押し出し、専門家でなくてもできる手芸的な手法を用いたデバイスとアプリも自作し、訓練した人でなければ踊れない踊りを眺めるのではなく、自分たちで踊る、という態度を示すことを大事にして活動しています。
前林:ドイツなどでは、「結婚ってなに?」をテーマにしていました。結婚を取り上げた理由はありますか。
内田:当時、安倍政権が少子化対策として若い女性に向けて「女性手帳」の配布を検討していることが論争になっていました。そこで描かれる子供を産み、家庭を守る「良妻賢母」的なイメージと、「ゼクシィ」などの結婚情報誌などのメディアで見られるお姫様のような格好をした外国人女性のイメージ。凡人ふたりとも、この押し付けられたイメージへの共通した違和感があり、またそれが日本特有の状況ではないかと感じたことから、ドイツで発表するにあたって日本の結婚観をリサーチするのが面白いのではないかと考えました。
インタビューでは「何回結婚してみたい?」、「法律婚と事実婚どっちがいい?」というような、一回に決まってるじゃん、とか、当時は事実婚という言葉も今より馴染みがなかったので、「何それ?」みたいな、思考の枠組みが一瞬宙吊りになるような質問を組み込みました。最終的にはちょっと無茶ぶりで、結婚を体の動きで表現してもらい、その映像と日本の結婚雑誌などから切り取ったメディアがつくる結婚のイメージ、それと踊りで使用するアプリのデモンストレーションを展示として構成して発表しました。
前林: 最近では秋田で展示を行っていますね。
内田:今勤務している秋田公立美術大学が持っているギャラリーから声をかけてもらって、2017年に展示しました。オープニングイベントは秋田市のクラブを貸し切って、秋田の方のインタビューをもとにして作った「凡おどり」を、会場に来てくれた地元の方から学生、教員の方まで50人ぐらいで一緒に踊ったり、事実婚をしている先生に話を聞いたり、IAMASの同級生だった中上さんや村上裕さんを呼んでDJやライブをしてもらいました。たぶん地元の方は聞き慣れないノイズのライブなどに面食らった方も多かったかもしれないんですが、それも含めて、普段関わらないような人たちが同じ場所に集う凡人ユニットなりの披露宴パーティのイメージで開催することができて、楽しかったです。
自分の発言が前向きに反映される“成功体験”
前林:少し大きく振り返ってもらって、IAMASという環境は内田さんにとってどういうものでしたか。
内田:ひとつのジャンルを極めたい人にはあまりオススメはしないですが、そこから少しはみ出るというか、枠組みの外で新しい価値を作っていきたいと考えている人にとっては面白い学校だと思います。
前林:他の学校をそれほど知っているわけではないかもしれませんが、美大と比べるとやはりユニークな環境だったと感じますか。
内田:どうなんでしょう?IAMASの場合は授業以外でも一緒に過ごす時間が長いので、ファミリー感というか、繋がりが深いというのはあると思いますね。IAMASでは個人的なことも腹を割って話せるすごく深い友達がたくさんできたなという感じはあります。
前林:確かに人数が少ないので、そういった部分はあるかもしれませんね。
内田:IAMASの良いところは先生が学生の意見をしっかりと聞いて、しかもそれがわりと早い段階でアクションとして返ってくるところだと思います。私たちの代だけかもしれないですが、当時、授業に関することから学校全体のことなどあらゆる面に対して皆「納得行かない!」と思ったことを授業アンケートに真剣に書いていました。例えば「なぜこのただでさえ忙しい時期にワークショップの企画をしないといけないのか」とか「領域横断と謳っていながら、専門ごとにクラスが分かれているのは矛盾しているのではないか」とか(笑)。そうしたら、次の授業で先生が目に見えて落ち込んで「知らなかったよ、ごめん」って謝ってくれて次年度から授業の内容が変わったり、アンケートで指摘したところが、次の年からシラバスに反映されていたり。先生たちがちゃんと私たちの意見を読んで、発言したことが無駄にならず「あ、ちゃんと言えば、聞いてくれるし、変わるんだ」と実感できたことは自信になったというか、ある種の“成功体験”でした。どうせ変わらないから言わないのではなく、まずは言ってみようという気持ちを持つことができるようになったのは大きな経験でした。
前林:その話はぜひ強調して、太字で残しておきたいですね(笑)。
取材: オンライン
編集:山田智子 / 写真:工藤恵美