INTERVIEW 024 【後編】
GRADUATE
高尾俊介
クリエイティブコーダー/2008年修了
活動の総体としての作家像と作品の連続性
NFTアート作品「Generativemasks」で注目を集める高尾俊介さん。後編は、現在の活動につながるIAMASでの研究やSNSでの活動についてにも話が及びました。
購入者が作者とともに作品の価値を高める
前田:作者の高尾さんは、購入した1万人のそれぞれの情報をどれくらい把握できているのですか。
高尾:「Generativemasks」は OpenSeaというNFTのマーケットプレイスで売買が行われており、今は約3500人のマスク所有者がいます。そこでは販売の履歴などを見ることができますが、所有者と紐づいているのは暗号資産のウォレットの情報なので、所有者のパーソナルな情報については把握できません。
ただ、僕が面白いと感じているのは、2500人くらいのマスクを所有している方が参加している「Generativemasks」のDiscordコミュニティです。そこではマスク所有者同士が、マスクの価値がより高くなるようにどうプロモーションしたらいいかを話し合ったり、例えば魅力的なマスクをみんなで探してシェアしようというような、主体的で活発なコミュニケーションが行われています。僕のコードを改変してマスクを改造するアプリケーションを、junoszさんというマスク購入者の方がつくって、共有してくださったりもしていますね。
前田:改変や拡張などの楽しみ方を、作者としては認めているのですか。
高尾:「Generativemasks」はクリエイティブ?コモンズ?ライセンスのCC BY-NC-SA 3.0で公開していて、基本的に非営利目的であればクレジットを明記することで誰でも自由に変更や公開ができます。最初の改変は僕がウェブカメラの写った顔の位置に合わせて「Generativemasks」が表示されるようなツールを公開したものですが、このアイディア自体は「Generativemasks」のコミュニティから生まれたものでした。そういったマスク所有者の交流がコミュニティを通じて起っていて、活動にフィードバックされている状況をとても面白く感じています。
前田:今、例に出してくれたコミュニティやツールは、マスク所有者しか楽しめないものなのですか。
高尾:本来はそうあるべきなのかもしれないですが、今はマスク所有者だけでなく、誰でも触ることができます。プロモーションの一環というか、実験の場というか、「Generativemasks」のユニークさを広めるための活動として位置付けています。
前田:絵画ような作品であれば、売買が行われた時点で作品が作者の手から離れてしまいます。一方で「Generativemasks」を所有している人たちがとてもオープンというか、買ったものを自分だけのものにするのではなく、それを使って作者とともに楽しんでいるところが一つの特徴だと感じます。
高尾:もちろん完成したアートピースを販売しているのですが、それが流通し、コミュニティの中でディスカッションされていく過程で、様々なバリエーション、亜種が発生していく可能性を内包している。そこが他のNFTxジェネラティブアートのコレクションと比較したときの、 「Generativemasks」のユニークなところだと思っています。
自分だけの楽しさがコミュニティに伝播する面白さ
前田:コミュニティの話を聞いていて思い出したのですが、IAMASにいた頃から高尾さんはTwitterを積極的に活用し、インターネットの世界でコミュニケーションをしていた印象があります。
高尾:Twitterもそうですが、個人的にはTumblrという画像共有閲覧サービスに一番影響を受けています。僕は大量の情報を閲覧しているときに一番興奮するというか、情報に身を委ねている状況に楽しさを感じるようで、在学中はTumblrのダッシュボードに川の流れのように玉石混交のイメージが流れてきて、その大量なイメージをキーボードを叩きながら見続けていた体験に、デジタルイメージの本質があるように感じていました。その体験はIAMASでの修士研究や現在の活動にもつながっていますね。
前田:たしか「#takawo杯」※1という企画も主催していましたよね。
高尾:「#takawo杯」はIT用語をもじったダジャレを競うコンテストで、それを個人で主催して、SNSで熱狂していました。
前田:「#takawo杯」はどれくらいの人が参加していたのですか。
高尾:一番多い時で1500人が参加して、コンテストの投稿数でいうと1万5000近くありました。「#takawo杯」の時も、一次選考、二次選考と大量の投稿作品をスプレッドシート上で一つ一つ味わいながら、賞を選考するプロセスがとても楽しかったです。
前田:その頃から、高尾さんは「作品をつくる」ことよりも、コミュニティやムーブメントに参画していく方向に意識がシフトしたように感じていたのですが、そのような自覚はありましたか。
高尾:「#takawo杯」を経験して、コミュニティを盛り上げたり、良いムードをつくったりするコミュニティのマネジメントに似た能力や適正が自分にはあると感じて、それが現在の活動につながっています。
僕は個人的な面白さを大事にしていて、「#takawo杯」で一人遊びを誰かと共有する場作りができたという経験はとても大きな収穫でした。よく「トムソーヤのペンキ塗り」という話をするんですけど、トムソーヤがペンキを塗っていたら友達が集まってきて、仕事でやっていることを遊び感覚でみんなが並んでやりたがるようになる。この逸話には価値観を楽しさで塗り替える、創造と飛躍がある。
「#takawo杯」やSNS上での活動もそうなんですが、もともとは一人遊びというか、ブツブツつぶやいているようなところが発展してプロジェクトが始まっていくことが多いですし、「デイリーコーディング」※2で短いコードを書いていることも、つぶやきの延長なのかなと思っています。
NFTアートで変わる、作家と作品の評価
前田:「Generativemasks」は「お金を払って作品を購入すること」について問い直す作品でもありますよね。アートに限らず、例えば、コンサートの入場券や写真集を購入することは、体験やモノを買うことではあるけれど、それ以外に「作者を応援したい」といった部分もあるはずです。高尾作品に限らず、NFTアートの領域での作品購入は、作者の活動に対してお金を支払う意識が強いように感じます。「Generativemasks」の評価の高まりには、作品そのものの魅力とともに、作者の日々の振る舞いである「デイリーコーディング」との相乗効果もあったのではないでしょうか。
高尾:コードというコピー&ペースト可能なメディアが、作家の日々の営みや研究と結びつくことで価値を生む。そこには一周回ったような不思議さがありますよね。これまでのアートの世界では、作家のプライベートな実践や試行錯誤の部分は秘匿されていたというか、見えなくすることで神秘化して価値を生んでいたというところがあると思うので。
前田:不定形で動的なデジタル作品と、日々の振る舞いで形成された「作家像」が、強く結びつくことで新たな作品のあり方が提示されたのではないでしょうか。寄付というアクションによってそれは一層浮かび上がったように見えました。
高尾:その点に関しては意図的に設計したというよりは、結果論であると思います。これまで続けてきた「デイリーコーディング」という活動が、奇しくもこのタイミングで価値づけされたということだと考えています。
ただ、活動の総体としての作家像と作品の連続性という点については、まさにIAMASで研究していたデジタル写真の作品形態のあり方を考える中で導き出した一つの結論でもありました。修士論文のまとめとして、「流通していく中で、作家像と作品が結びつき、その総体を価値づけするのが今後の作家のあり方になるのではないか」というようなことを書いているのですが、今それを写真ではなく、クリエイティブコーディングという分野で実践しているということなのかなと感じています。そういう意味で、自分のやっていることには一貫性があり、「デイリーコーディング」や「Generativemasks」はそれがすべて含まれている作品になっていると思います。
前田:最後に「Generativemasks」の今後の展開について聞かせてください。
高尾:僕の中では「Generativemasks」のプロジェクトは始まったばかりで、無限に手を入れるところがあります。作品自体というよりはそれをより広く遠くまで届けること、そして最も重要な僕のタスクとして寄付のパートが残っています。それが終わらないと、このプロジェクトが一段落しないと感じています。
あとは、クリエイティブコーディングを毎日している一人の素朴な人間がつくった作品が1万点流通し、それによって得た大金がどのように寄付されるかという話の方が面白いのかなと個人的には思っているので、それをドキュメンテーションする必要性も感じています。一人の人間が社会や制度そのものとどう対峙するか、翻弄されるかというような話になっていくと思うので、その部分も作品の一側面としてうまくまとめたいですね。
前田:次回作については何か考えていますか。
高尾:この作品も野心的につくった、何年も温めてきたビッグアイディアというわけではなく、日常の延長の中のちょっとした思いつき、ひらめきの組み合わせで出来上がった作品です。「NFTアートがもっとこうだったらいいのに」とか、「コミュニティに還元できるといいかもしれない」とか、「社会はこうなったらもっとよくなるんじゃないか」という、審美的な意味合いではではない美しさ、正しさを寄せ集めてつくった作品だと感じています。僕は展覧会に向けて新作をつくろうというようなプロセスでの制作ができないタイプだと自覚しています。今後はライフワークとして「デイリーコーディング」を続けながら、そこから枝のように伸びた「Generativemasks」のように、日常の中でのひらめきや自分が楽しいと思うことを積み重ねて、作品をつくっていきたいと思います。
※1 2011年に高尾俊介さんが個人主催したインターネット上でのコンテスト。IT駄洒落と呼ばれるIT用語と駄洒落を組み合わせた言葉遊びを競う。当時、SNS上で大量の投稿作品が飛び交うなど、一部の好事家からカルト的人気を博した。
※2 詳しくは前編参照。日記のように、毎日、プログラミングコードを記述してスケッチを書く活動。高尾俊介さんのTwitterで活動を閲覧できる。
取材: オンライン
編集?写真:山田智子