INTERVIEW 036
GRADUATE
明貫紘子
キュレーター?アーキビスト/2002年卒業
メディアアートをアーカイブし、未来に継承する
東京都写真美術館で開催中の「いわいとしお×東京都写真美術館 光と動きの100かいだてのいえ ―19世紀の映像装置とメディアアートをつなぐ」で展示されている25年以上前に制作された岩井俊雄さんの作品修復や関連するアーカイブ資料の整理に関わるなど、メディアアートの記録と保存に関する様々なプロジェクトを手掛けている明貫紘子さん。IAMAS在学中まで時間を巻き戻し、作品保存やアーカイブの研究に関わるまでのルーツから現在の活動に至るまでを振り返りながら、メディアアートをアーカイブする意義を語ってもらいました。
自主ギャラリー「iamasOS」の運営が出発点に
前田:明貫さんは2000年に入学されましたね。IAMASへの進学を決めた動機を聞かせてください。
明貫:私は筑波大学芸術専門学群総合造形コースの出身なのですが、同じ大学出身の山元史朗さんが助手で在籍されていたり、クワクボリョウタさんやフィリップ?シャトランさんといった先輩も毎年のようにIAMASに進学していて、面白そうな学校だなと興味を持っていました。ただ、正直に言うと、IAMASでこういうものを作りたい、こういうことを学びたいという明確なものがなく入学したため、1年次ははっきりとした方向性を見つけられずにいました。
幸運だったのは、私は国際情報科学芸術アカデミーの最終年で、1学年下は大学院の1期生だったので、2年生の時に大学院に合わせてカリキュラムが変更になったことです。初代学長の坂根厳夫先生、その翌年から学長に就任した横山正先生、吉岡洋先生が担当する、「スタジオ4:メディア美学」が新設され、そこに所属することになりました。
前田:スタジオ4ではどのような制作をしていましたか。
明貫:スタジオ4の学生と協働で、新校舎の1階にギャラリースペース「iamasOS」を立ち上げ、運営を始めました。1年間でトータル5回の展覧会を企画し、最終的にはそれらの記録展示を卒業制作にしました。
IAMASにはいろいろなコースや多様なバックグラウンドを持つ面白い人がいるにもかかわらず、案外お互いのことを知らない印象があったので、互いを知るきっかけになるよう、卒業生も含めた学生から構成されるiamasOS(*OSはOperating SystemとOpen Spaceの意味)と教員のためのスペースI.T.スペース(*I.T.はIamas Teacherの意味)から構成されるグループ展として開催するということをルールにして運営しました。
前田:私もグループ展に参加したので、iamasOSのことはよく覚えています。作品の展示や上映を行うだけでなく、トークイベントなども企画していましたよね。
明貫:はい。関連イベントを色々と企画しました。特に、オープニングレセプションで皆で集まって話をするのがとても楽しかったです。iamasOSでの経験は、今のキュレーター、メディアアート研究者としての活動につながる重要な出発点でした。
前田:iamasOSをきっかけに学芸員を目指す気持ちが芽生えたということでしょうか。
明貫:そうですね、iamasOSを始めて、ようやく自分のやりたいことが見つかったと思いました。それまでの1年間は、他の学生のような熱量で作品制作ができていないことに違和感を抱きながら過ごしていたので。
それと、当時アーティスト?イン?レジデンスとして滞在していたリュック?クールシェヌさんの制作を手伝っていた時に、リュックさんから「紘子はキュレーターに向いているんじゃない?」と言われたこともひとつのきっかけになりました。
前田:iamasOSは展覧会をやって終わりではなく、記録映像をビデオパッケージとして残すなど、活動をアーカイブすることを意識していたように感じました。その頃から「アーカイブ」を研究テーマにしていたのですか。
明貫:当時はアーカイブという言葉は全く意識していませんでした。おそらく、音が出たり動いたりする作品を文字だけで残すのは難しく、映像記録でしか残せないと考えたのではないでしょうか。
前田:iamasOSの展示で印象に残っているものはありますか。
明貫:印象的だったのは、1回目の展覧会で、
自分が知らない時代の機器が目の前で動作したことに感動しましたし、コンピューターやテクノロジーの急速な変化によって埋もれてしまう作品があることを実感した瞬間でもありました。その時の感動は、メディアアートのアーカイブや再制作という今の活動に影響を与えたのではないかと思います。
キッズプログラムの企画を通し、作品を次世代に継承することの価値を体感
前田:IAMAS卒業後は学芸員やキュレーターを目指したのですか。
明貫:学芸員になる道を探したのですが、残念ながら就職先を見つけられず、大学時代を過ごしたつくば市に戻りました。それから3年間ほどは、当時、東京芸術大学の先端芸術表現科の教員で、
前田:SKIPシティの後は、NTTインターコミュニケーション?センター(ICC)の学芸員に着任されましたよね。
明貫:IAMASの先輩の纐纈大輝さんがICCを退職する際に声をかけてくださって、2007年から3年間学芸員として勤務しました。
前田:ICCでの仕事について教えてください。
明貫:SKIPシティで子ども向けの展示を企画していたこともあって、着任する前年から始まったキッズプログラムを担当することになりました。ICCは「先進的なアーティストの活動を通じて科学と芸術の流れを感じ取っていただくこと」をコンセプトとしている施設なので、子ども向けのプログラムであってもICCのイメージやクオリティを保つことを求められます。第一線で活躍するアーティストの表現と子ども向けの企画を両立させるのは非常に難しい挑戦でしたが、それを乗り越え、面白いプログラムを実施できたという自負はあります。
前田:関わった展覧会のなかで印象的だったものを教えてください。
明貫:トータルで3回のキッズプログラムを担当しましたが、その中でも2年目に開催した佐藤雅彦研究室+桐山孝司研究室の「ICCキッズプログラム2008 君の身体を変換してみよ展」でしょうか。
佐藤雅彦さんと桐山孝司さんはその前年に森美術館で開催された「六本木クロッシング2007:未来への脈動」展で『計算の庭』という作品を発表されているのですが、それを軸にしてICCのキッズプログラムを企画しました。この展覧会はテレビで紹介されたこともあって、おじいちゃんおばあちゃんが孫を連れてくるという状況が生まれ、ICC、メディアアートの間口を広げることができたと思います。実際にICCのオープン時に次ぐ入場者を記録し、非常に手応えを感じました。
前田:この展覧会は「第12回 文化庁メディア芸術祭 エンターテインメント部門 優秀賞」を受賞したそうですね。
明貫:確か、メディア芸術祭で展覧会が受賞するのは初めてのことで、社会的にも評価いただけたのではないかと感じています。何より嬉しいのは、今もキッズプログラムが継続されていることです。
前田:今やICCの夏休みといえばキッズプログラムというくらいになっています。
明貫:短期的な結果も必要だとは思いますが、私自身はこのキッズプログラムを経験した子どもたちが将来どのように成長するのかという長期的な視点からの評価にも関心を持っていました。
3年目のキッズプログラムは、真鍋大度さんと石橋素さんに参加してもらったのですが、毎年通ってくれる高校生がたまたま見にきた時に真鍋さんと石橋さんが会場にいて、少し話す機会があったんです。なんと、その時の高校生がベルリンの芸術大学に進学し、今はアーティストとして活躍しているんです。それを知った時はとても感激しましたね。同時に、過去のメディアアート作品を、次の世代に継承することの重要性を認識したひとつのきっかけにもなりました。
メディアアートならではの保存?修復の難しさ
前田:ICCの任期終了後は、学芸員の仕事を一旦離れ、オーストリアのドナウ大学大学院に留学します。何かきっかけがあったのでしょうか。
明貫:ICCで働く中で、私の中に2つの問題意識が芽生えていました。一つ目は、キュレーターを続けるには、自分自身の知識が圧倒的に足りていないということです。一般的にキュレーターは芸術学を学んだ上で、専門的な研究をもとに展覧会を作りますが、私はそのような基礎的な教育を受けていない状態でSKIPシティやICCの学芸員になって展覧会を作ってきました。だから、メディアアートの歴史やメディア論、美術史などを体系的に学び直したいと考えていました。
もう一つは、ICCは開館当時に収集したコレクションをもっているのですが、機材の劣化やアプリケーションのバージョンアップの影響などによって多くの作品が死蔵状態にあるということです。
この点は絵画や彫刻といった従来の作品形態とメディアアートの大きな違いでもあるのですが、あっという間に動かなくなってしまう過去のメディアアート作品はどうなってしまうのだろうと、疑問を持ちました。海外ではメディアアートの作品保存に関する研究が進んでいることを知り、学んでみたいと考えるようになりました。
この2つの希望を満たせる場所はないかとIAMASの先生でもあったクリスタ?ソムラーさんに相談したところ、ドナウ大学のメディアアートヒストリーズコースを紹介されました。
前田:ドナウ大学では具体的にどのような研究をされたのでしょうか。
明貫:当初関心を持っていたのは、メディアアートのコンサベーションやアーカイブについてでした。しかし、学びを進める中で、手法を研究するだけではなく、実際にケーススタディをしたほうがよいと考えるようになりました。最終的に修士論文では「ふくい国際ビデオビエンナーレ」(1989年?1990年)をテーマにして、福井県が保管していた資料をもとにフェスティバル研究をしました。
前田:さらに2013年からは文化庁の新進芸術家海外研修制度に採択されてドイツに滞在します。
明貫:ドイツのインターメディアアートインスティチュート(imai)という財団で、ビデオアートのデータベース構築と関連する資料を保存するためのアーカイブ編成のプロジェクトに携わりました。
imaiには、ケルンで活動するメディア企業「235 Media」が1980年から90年代にかけてディストリビューションしていたビデオアートのコレクションがビデオカセットテープの状態で2000本程度残されていました。
ビデオカセットテープをデジタル化し、それを毎日毎日朝から晩まで観て、内容を確認し、分類するためにメタデータを定義し、リストを作る作業をしていました。コレクションやアーカイブの特徴が表現できるリストはどういうものかを、実践的に学ぶことができました。コレクションの中には日本のビデオアート作品も含まれていたので、まとまった量をこのような形で観ることができたことは個人的に貴重な経験でもありました。
加賀市を拠点に、郷土文化を掘り起こす
前田:2018年に帰国し、石川県加賀市で「映像ワークショップ合同会社」を設立されました。ここではどのような活動をしていますか?
明貫:加賀市は母の出身地で、パートナーでアーティストの木村悟之が地域おこし協力隊に着任したことをきっかけに移住しました。加賀市は人口減少問題を抱えた消滅可能性都市なのですが、こういう環境だからこそできるプロジェクトを移住後からずっと模索してきました。例えば、コミュニティ?アーカイブに関するプロジェクト。加賀は豊かな自然や温泉があり、地域に根ざした文化資源に恵まれたところです。この地域に残されている過去の映像や写真などの郷土資料を収集、整理、保存し、上映会やワークショップを開催したり、zineを作ったりしました。現在は、ポッドキャスト番組を準備中です。
ドイツのデュッセルドルフに「フィルムベルクシュタットデュッセルドルフ」という公私共にお世話になったオルタナティブなスペースがありました。「フィルム」は映像、「ベルクシュタット」はワークショップの意味なので、そのまま和訳して「映像ワークショップ」。フィルムベルクシュタットは上映会やコンサート、学生向けのワークショップなどを行っている地域に根ざした場所で、日本でも同じようなことができたらと考え、フィルムベルクシュタットの石川支部のような形で始めました。加賀市には映画館がないので、図書館でアピチャポン?ウィーラセタクンの映画作品《真昼の不思議な物体》(2000年)を35ミリフィルムで上映したのが初めてのプロジェクトでした。
前田:学術的な研究活動よりも、地域でのワークショップに重きをおくようになったということでしょうか。
明貫:ワークショップに限らずですが、実践の現場に戻ってきたという感じでしょうか。もちろん、映像ワークショップは会社としてクライアントワークもやっていますが、都市部ほどいわゆるクリエイティブな仕事があるとは言えません。ですから、地域おこし協力隊を受け入れて、図書館や個人が保管していた1960?80年代の16mm、8mmのフィルムをデジタル化して上映会を行うなど、コミュニティ?アーカイブとそれを活用した地域に根ざしたプロジェクトに力を入れています。今年は能登半島地震が発災したので、それに関するプロジェクトも進行中です。
それと並行して、私個人の取り組みとして、愛知県立芸術大学非常勤研究員としてキヤノン?アートラボのアーカイブの整理やリスト化をはじめ、メディアアートのアーカイブや研究調査に関するプロジェクトに従事してきました。近年は商業アニメの背景美術の調査や展覧会企画などにも携わっています。私の仕事について言えば、メディアアート、アニメ、コミュニティなど領域は違いますが扱う対象が「アーカイブ」という点では共通しています。
未来へ、メディアアート作品を継承する
前田:2022年に茨城県近代美術館で開催された岩井俊雄さんの個展「どっちがどっち? いわいとしお×岩井俊雄 ―『100かいだてのいえ』とメディアアートの世界―」は、1990年代の名作と言われる『映像装置としてのピアノ』が出品されて話題となりました。これらの作品の再制作に明貫さんが関わられたと聞きましたが、岩井さんとのプロジェクトがどのように実現したのか非常に興味があります。
明貫:展覧会の1年ほど前に、岩井さんから個人で保管している資料整理について相談を受けました。また、茨城県近代美術館でメディアアート作品の展示オファーが来ていることから、アドバイザーとして加わってほしいとの依頼をいただきました。それをきっかけにして、岩井さんと「岩井俊雄アーカイブ&リサーチ」プロジェクトを立ち上げました。
実はICCで初めて担当したキッズプログラムのテーマが音と映像で、岩井さんの『映像装置としてのピアノ』を再制作できないかと打診したことがありました。その当時、岩井さんは既にメディアアートから距離を置き始めていたので、実現することができませんでしたが、10年以上の時を経て叶えることができたのは感慨深いです。
前田:茨城県近代美術館ではどの作品を展示したのですか。
明貫:『映像装置としてのピアノ』(1995/2022年)と『時間層II』(1985年)、『STEPMOTION』(1990年)、『マン?マシン?TV No.3?5?8』(1989年)の4点です。
そのうちのいくつかは当時の機材をそのまま使って展示できましたが、『映像装置としてのピアノ』は大幅な改変が必要でした。オリジナル版はシリコングラフィックスとAmiga というコンピューターとプロジェクター2台を使っていたのですが、Windowsのコンピューター1台+プロジェクター1台という構成に大きく変更しました。それに伴い、プログラムの変更が必要だったのですが、岩井さんが一人で書き換えて。「やり始めたら、思い出した」とおっしゃっていました。プロジェクターについては、Rhizomatiksの石橋素さんにご協力いただきました。
前田:「時間層」シリーズはいかがでしたか。
明貫:「時間層」シリーズに関しては、茨城県近代美術館では東京都写真美術館からお借りして『時間層II』を展示。翌2023年にシビック?クリエイティブ?ベース東京(CCBT)で開催した「岩井俊雄ディレクション『メディアアート?スタディーズ 2023 :眼と遊ぶ』」では、残りの『時間層Ⅰ』『時間層Ⅲ』『時間層Ⅳ』を展示しました。
「時間層』シリーズの特筆すべき点は、再展示に使用した筐体や機材をほぼ岩井さんが個人的に倉庫で保管していたことです。残っている機材を活用しながら、一部の機材、例えばビデオデッキを使っているものについては映像をデジタル化するなど、置き換え作業を行いました。
一方で、全てを最新の機器に置き換えればいいというわけではありません。「時間層」シリーズは4作品ともに、ブラウン管技術でしか表現できない映像が特徴ですが、現在主流となっているLCDやLEDを使ったモニターやプロジェクターでは再現ができません。動作する、古い三管式のプロジェクターを探すことが、この作品の最大のチャレンジでした。
「時間層」シリーズの再生のプロセスについては、CCBTのリサーチノートに詳しく書きましたので、ぜひお読みいただければと思います。
前田:再生するにあたっては、ドイツで学んだ知見が生かされたのでしょうか。
明貫:そうですね。加えて、以前文化庁でメディアアート修復に関する調査をしていて、岩井さんにもヒアリングを行なっていました。メディアアートの修復の手法には数パターンあるのですが、その中で今回はどの方法が当てはまりそうか、ある程度道筋を想定できていたことも大きかったかもしれません。
前田:7月末から東京都写真美術館では「いわいとしお×東京都写真美術館 光と動きの100かいだてのいえ ―19世紀の映像装置とメディアアートをつなぐ」が開催中です。展覧会の見どころや苦労された点などを聞かせてください。
明貫:私は展覧会の企画自体には関わっていないのですが、2021年に岩井さんと共同で立ち上げた「岩井俊雄アーカイブ&リサーチ」プロジェクトの成果発表の場として位置づけられると考えています。資料からも制作当時の作品の革新性が伝わってくるので、過去の作品を展示することにより、メディアアーティスト?岩井俊雄が再評価されることは非常に嬉しいことです。
また、この機会に作品の修復やインストールの過程を記録しておくことで、将来、作家不在でも展示や修復ができるようになることを目指しています。つまり、過去のメディアアートを展覧会で発表すること自体が、資料整理も促し、未来へ作品を継承するための準備になると考えています。
前田:例えば、クラシック音楽が長年劇場で再演されて継承されていくように、メディアアート作品も再制作して発表されることで解釈が深まったり、問題点が浮き彫りになったりして継承されていくということですね。
明貫:その通りです。発表する場があると色々な方が関わり、目撃者や経験者が増えます。CCBTの時は若いインストーラーや技術者が関わったので、技術面での経験が継承されました。茨城もCCBTも、インストール過程から実際の展示風景まで記録することにもこだわりました。準備中の岩井さんにピンマイクをつけて、音声も含めて映像として記録を残しています。この記録が、だれかの未来の展覧会や研究のための贈り物になることを願っています。
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編集: 山田智子 / 写真: 福島諭