教員インタビュー:鈴木宣也教授
再注目されるヴィジュアルリテラシー研究
- 「ヴィジュアルリテラシー」とは、どういうものですか?
歴史は意外と古く、1960年代後半に「ヴィジュアルリテラシー※1」という言葉が誕生しました。明確な定義はありませんが、視覚情報を受け取り、考え、さらに表現へ発展させる能力のことです。
そもそも人は、“もの”を観賞してしている時、見えている部分がすべてだと思いがちです。しかし、観賞している“もの”にはさまざまな知識や経験、歴史といった情報が含まれており、そもそも“もの”の見方はもっと多様であるべきです。
小中学校の図工や美術の授業では、見たままを上手に描くことが求められがちで、それはひとつの見方として間違ってはいませんが、そもそも子どもたちには対象への多様な眼差しを持っており、ひとつの見方に偏ってはなりません。
まずは、きちんと観賞する力を身につけ、そこで得た知識や多様な見方を元に自ら考え、その考えを表現するために最適な技法で描いてほしいと思っています。
このように、一見しただけでは伝わらない情報を読み取り、考える能力が「ヴィジュアルリテラシー」です。デジタルメディアの浸透にともない、再び注目されるようになり、ここ10年~15年で研究者が増えています。
- ヴィジュアルリテラシーは、メディアリテラシーとはどう違うのでしょうか?
メディアリテラシーや情報リテラシーと、ヴィジュアルリテラシーは別です。前者は、情報の発信元はどこだとか、受け手としてどう解釈すべきかというのが中心で、どちらかと言えば技能的なもの。
ヴィジュアルリテラシーはもっと人間に寄った思考的、感覚的な分野です。
- 学内プロジェクトではどのような活動を行っていますか?
「あしたをプロトタイピングするプロジェクト」を2013年から2018年まで行っていました。このプロジェクトは、実社会の課題を抽出し、今後の社会に向けたプロトタイプの実現を通じて未来像の創出を目的としたプロジェクトです。
これまでさまざまな企業と学生が一緒になってワークショップを行い、そこで出た課題を考えることを繰り返して、最終的に体験できるプロトタイプを制作?発表しました。(株)豊田中央研究所との共同研究では、壁が人の動きに反応して変形し、物をつかんだり、人にタッチする作品「Hello Wall」などを制作しました。
遊びの延長として体験するプログラミング教育
- 現在、プログラミング教育に関するワークショップも行っていると聞きましたが?
2019年、根尾小学校での授業や、「イアマスこどもだいがく」というイベントで、小学生を対象に「ゴムの森」というワークショップを行いました。
「ゴムの森」は、コンピュータを使わないでプログラミングを体験するワークショップです。
天井から床に張ったゴム紐を子どもたちが束ねることで、空間を変形させます。次に、変形した空間の中をゴムに触れないように通り抜けてもらう。ゴムを束ねるのがプログラミングにおける“設計”で、体を使って通り抜けるのが“実行”と位置づけています。
身体的な遊びを通して論理的に思考すること、表現することができ、この体験はプログラミング思考の習得に結びつくと考えています。
結び目をつくることで変化した空間。ゴムに触れないよう子どもたちは考えながらすり抜けていく
子育て経験とシュタイナー教育からの影響
- 鈴木先生は、1996年のIAMAS開学時から学生にプログラミングを教えていたと聞いています。ヴィジュアルリテラシー、言語を使わないプログラミング教育に関心が移ったのは何か理由があるのでしょうか?
ヴィジュアルリテラシー、プロトタイピングメソッド※3も、ものづくりの前段階の話だと思っています。
今は、レーザーカッターや3Dプリンタがでてきたことでデザインさえできれば、ものづくりはできます。
では、何がボトルネックになっているかというと、人間の源泉の部分。ものを考える力です。
2020年から小学校でプログラミング教育が必修になりますが、私は小学生がプログラミング言語を学ぶのは、まだ早いと考えています。
そう思うようになったのは、子育ての影響もあるかもしれません。
小学生でプログラミング言語を学ばないほうがいいという考えは、シュタイナー教育※2の影響です。
シュタイナー教育では、論理的な考え方ができるようになるのは15歳からと言われています。たとえ才能があっても、14歳以下の子どもに論理的な思考を強いると弊害があると考えられています。
だから、義務教育期間中にプログラミングを学ぶ必要があるなら、私はなるべくプログラミング言語に触れない方法で体験させてあげたいと考えています。
時代とともに主流だったメディアやツールは移り変わり、過去の研究が参考にならないという場面も出てきています。
だからこそ、今あるテクノロジーに対する研究だけでなく、同時に人間の思考の根本にも目を向けないといけません。
新たなテクノロジーが出るたびにテクノロジーに合わせてものを考える必要がありますが、テクノロジーに振り回されず、人の根本は大事にしていくことが必要と考えます。
AIの普及が進み、これからはAIができない部分を人間がやることになるでしょう。
AIができないことが何かを考えると、それが教育なのではないでしょうか。教育は人とふれ合わないとできませんから。
…もしかしたら、数十年後には教育のできるAIが登場しているかもしれないですが。
AIでは経験できない感覚を農業から得る
- 近年、移住して農業を始めたというのも何か通じるものがあるでしょうか?
人間は農業をやらないといけないですよ(笑)。
自分があと何年生きられるのかと考えた時に、人がしないことをいかに経験するか。本人にしかわからない感覚を得ることが大切に思えてきました。
毎年、気候も土の状態も違う。その中でどう米を育てるかを考えるのは楽しいです。子どもたちは、めんどくさいなとも思っているでしょうね。でも、それも体験として大事。
AIが経験し得ないことを、人がどうやって体験し、どう感じるのか。それを考えることが大切になるでしょうね。
あと数十年くらいしか生きられない中で、自分はどんな体験するかをデザインしている最中です。
- 初期のIAMASから知っている鈴木先生から見て、今の学生たちはどうですか?
学生の半分は現役生で、半分は社会人からの入学です。ジョブチェンジを目指す人が増えていますね。
現在、プロジェクションマッピングやデジタルアートが世の中に浸透していますが、IAMASの学生の中には、この風潮に違和感を覚えている人も多いです。
表層的な表現ではなく、心に残る深い体験。
IAMASが目指すものはそうでありたいです。
IAMASは「人生のサービスエリア」
- IAMASへ入学を希望する学生たちへメッセージはありますか?
私は、学生たちには広く興味を持ってものごとを調べてほしいと思っているけれど、実際には、言われた通りに課題をこなして、卒業できたらそれでいいという考えの人もいます。
「関係ないと思って調べていません」とか、「自分の利益にならないと思ったからこの授業はやめました」と話す学生が少なくない。
そういう受け身だと、IAMASに来ても身につくものが少ない。
自分から発言したり、能動的であれば、先生が協力してくれるけど、ただ授業を受けているだけでは、そのまま卒業の時間がきてしまいます。
でも、米作りもそうだけど、ものごとに最短ルートはありませんからね(笑)。
「IAMASは高速道路のサービスエリアみたいだ」と話す卒業生がいました。
そういう存在だから、最短距離でゴールを狙う人は、IAMASにはたどり着かないのでしょうね。
あがいて、あがいて、もがき苦しんでいる選択肢の一つにIAMASがある…かもしれない。
だから、みなさんの頭の隅にでもIAMASを置いもらいたいですね。
鈴木 宣也 / 研究科長?教授
1969年東京生まれ。情報通信技術を用いたメディアやプロダクトに関するプロトタイプ制作とそのインタラクションデザインあるいはサービスデザインを研究対象とする。アート、デザイン、工学などの複合領域を横断する活動と、それらの展示運営なども実践。”三人 三脚”が Prix Ars Electoronica 96 入賞、”本阿弥光悦マルチメディア展示プロジェクト”がマルチメディアグランプリ2000展示イベント部門最優秀賞など。
※1 ヴィジュアルリテラシー
『A Primer of Visual Literacy(形は語るー視覚言語の構造と分析)』(Donis A. Dondis 著/1973年)内で、「ヴィジュアルリテラシーは,鑑賞体験から知識や経験を獲得する術であると同時に,頭の中にある事柄を視覚化する術をも含め,社会と結びつけ意識的に活動するための基礎的な活用能力である」と初めてヴィジュアルリテラシーについて言及されている。
※2 シュタイナー教育
20世紀初め、思想家ルドルフ?シュタイナーの理念をもとにした感情や意志に働きかける総合芸術としての教育構想。1919年にドイツで最初の「自由ヴァルドルフ学校」を設立後、シュタイナー学校(自由ヴァルドルフ学校)運動は世界中に広がり、現在、60数カ国1,000校を超える。
https://waldorf.jp/(日本シュタイナー学校協会)
※3 プロトタイピングメソッド
デザイン思考をもとにしたIAMAS独自のプロトタイプを作ることに特化したデザインプロセス。
インタビュアー?編集:森岡まこぱ
撮影:山田聡(IAMAS産業文化研究センター)