教員インタビュー:前林明次教授
聴取の経験を考える
- 前林さんは身体と環境の関係を、聴取の経験を通じて問うようなサウンドインスタレーションを90年代から発表してきました。ですが、近年は沖縄の基地や歴史に関わる作品も発表しています。この変化についてからお聞きしていこうと思います。
音への関心の最初は、実験的なバンド活動からで、そこからコンピュータやサンプラーなどに興味を持ち、高橋悠治さんや藤枝守さんたちが「スタジオ200」(池袋の西武美術館内に付設された多目的ホール。91年に活動休止)などで展開していたサウンドによるインスタレーションやパフォーマンスなどへと興味を広げてきました。
ただ、現在私が取り組んでいるメディアを使ったインスタレーション作品のコンセプトは、当時とは全く異なるものになっています。なかでも「沖縄」というフィールドへの関心は、突き詰めればそれは「メディアとリアリティ」についての問題意識になります。高精細な音響によって「現実」(普天間基地などの騒音)を別の場所で再現するということが、今日の暮らしや社会にとってどのような意味を持つのか? 振り返ってみれば2011年、つまり3.11、東日本大震災を大きなきっかけとして自分のなかに具体性を持って芽生えたのだと思います。
- 沖縄への関心もその過程で生じたのですね。
たしか2010年か11年頃にネットニュースで、沖縄、嘉手納基地周辺の学校の卒業式が、戦闘機の離着陸の騒音(103.1dB)のせいで中断されるという記事を読んだんです。たまたま私は同じ頃に、360°の音響を高精細に録音?再生できる技術に関心があり、それを使って、戦闘機の離着陸の騒音を録音し、それを展示において再現できないかと思いつきました。それが「おおがきビエンナーレ2013」で発表した《103.1dB》という作品です。VR(ヴァーチャル?リアリティ)で言われる「再現」というと、通常はわかりやすい心地よさや恐怖を与えるものに向かいがちですが、ここではなにかしらの「傷」をあたえるような体験を再現できないかと思ったのです。
- 個人的にも、3.11に関して身体的に強く記憶しているのが音の経験なのでその興味はわかります。報道番組から流れてくる津波の音であったり、アナウンサーやインタビューされた人の混乱が伝わってくる声や言葉づかいの普通ではなさを、震災の象徴として自分のなかに残っています。
その一方で、震災後の制作としては2011年11月に新宿歌舞伎町で行われた「歌舞伎町アートサイト」への参加がありました。屋外に置かれたコンテナを展示空間にして《Container For Dreaming》(2011年)を制作しました。コンテナ内に立体音響装置を設置して、新宿周辺のさまざまな場所で録音した音響をベッドに横たわって聴取するという作品で、これはローリー?アンダーソンが70年代に発表した《制度の中の夢》(1972-73年)にインスピレーションを得ていたのかもしれません。
- 公園、公衆トイレ、図書館といった公共の場所で眠り、それが夢に与える影響について考えた作品ですね。
体験者が、コンテナという密閉された空間で横になりながらVR音響を聴くことによって、「場」に対するイメージがどのように広がるのか、ということを試みました。3.11以前の自分の関心は主に技術的な可能性を探ることに寄っていて、大雑把にいえば社会や場に関わるコンテクストがあまりなかったのですが、《Container For Dreaming》や、周囲の音響を変換しながら街を歩く《Sonic Interface》(1999年)を「歌舞伎町アートサイト」で展示したことで、社会的なコンテクストによって場のイメージや音響の捉え方が大きく変わってしまうことに改めて新鮮な驚きをおぼえました。
「再現」から「合成」へ
- 2011年以来の沖縄への関心は、2017年に岐阜県美術館で行われた展示「IAMAS ARTIST FILE #5 前林明次 場所をつくる旅」へ結実しましたね。
リサーチとして沖縄に通っていると、当たり前ですが基地騒音だけでなくいろんなことを体験します。「場所をつくる旅」の背景には、そういった継続した経験がありました。
岐阜県美術館には山本芳翠という明治時代の画家の作品が数点収蔵されているのですが、学芸員の方に見せてもらった《琉球漁夫釣之図》(1887–88年)には沖縄の漁村の風景が描かれていました。この絵画は、明治期から現代に至る、沖縄の漁村や海辺の風景の変遷を想起させます。米軍のオスプレイが2016年に墜落したのは名護市安部の海岸でしたが、そういった場所を実際に歩くこと、芳翠の絵、その絵を撮影した映像、そして現地で録音した音響。それら複数のメディアと体験を交えることで、展覧会場にひとつの「場」を立ち上げようとしたのが「場所をつくる旅」という展覧会でした。
- 興味深いです。岐阜での展示ですから、沖縄の人が見る機会は相当に限られていて、現実とその再現のあいだにあらかじめ距離がある。そこでは当事者性も問われる気がします。
「当事者性」というものは(どこで線を引くか、という意味で)、つねに曖昧さを含むものであるように思います。私は沖縄に出向いてリサーチを深めていくけれど、沖縄に関することはそれだけで得られるものではない。例えば沖縄の米軍海兵隊は、もともとは岐阜の基地に駐屯していたことや、岐阜県出身の山本芳翠の作品が岐阜県の美術館にあり、そこに至るまでにはいろんな伏線が結びついていること。沖縄だけではなく、そのようないくつかの線を展示の場において重ねていく、というのが私にとって大きなテーマでした。そこでは、当初あった基地騒音の再現という問題からは一歩退いていますが、自分なりにとらえた場所との関係性を展示空間にいかに収めるか、ということが重要だったと思っています。
- 芸術表現とは代替性や再現性に関わる「表象」でもありますから、現実の事物や経験との間に抱えるジレンマはアーティストにとって大きなテーマであると思います。またそれは、前林さんが追求してきた身体と環境の関わり、音響による再現の問題とも強く結びついていますね。
いまここで起こっていないことを、技術的な介入によって、いまここで体験し意識することを私は「再現」と捉えています。しかし、岐阜県美術館で行った展示では、再現の次元だけでは捉えきれないものがあると思っています。うまく言語化するのは難しいですが、それは「合成」と呼ぶべきものかもしれません。
音の体験は限りなく記号的な体験でもあり、記号としての音をどのようなコンテクストによって操作していくか、ということが現在の、いわゆるサウンド?アートのテーマのひとつではないでしょうか。そのような複数の記号の集まりとして音を操作し、合成していく過程のなかではイメージの合一と同時に崩壊の瞬間がありうる。岐阜県美術館の展示で芳翠の絵と音響を組み合わせたのは、そのような記号同士のズレを発生させるための仕掛けでもありました。そういった記号同士が崩れる瞬間に聴こえてくるものは何か、ということに、いまの自分の興味は移ってきています。
- 2011年以前の前林さんの作品が、音を絶対的な「物」として捉えていたとするならば、現在の関心はその流動的な変化の性質に可能性を見出しているように思います。そして、それは「聴く=再現する、合成する」主体である「鑑賞者=私」について思考することでもないでしょうか。
難しいですが、どんなに音が記号的に扱われるようになったとしても、そこに何らかのズレを聴き取り、想像する力はわたしたちに残っていると感じます。唯一的な「生の音」に対する信仰は崩れたとしても、わたしたちの経験や想像のなかから何かが引き出される瞬間はあり得るのではないか。そのことは沖縄で基地周辺を歩いていたときに強く感じたことです。
子どもたちが遊んでいる自然に恵まれた海岸の上を、戦闘機が飛び立っていく。心なごむような光景に、耳をつんざく轟音が何度も重なり突き刺さる。これはもう、(風景と)音響の「合成」としか言いようがない体験です。そのような音響を体験する場が実際に「現実」としてある。合成された現実を抱えている場というものが確かにある。
合成された現実としての騒音の問題。身体にダイレクトに影響する音響に接しながら、これからどのような「現実」(=合成)を想像し、つくっていくことができるのか。それは自分にとっても大きな問題として残っています。
前林明次 / 教授
身体と環境のインターフェイスとして「聴覚」や「音」をとらえ、そこに技術的に介入することで知覚のあり方を問いなおす作品を発表してきた。現在は身体と場所との関わりへの想像力を喚起する装置として作品制作をおこなっている。主な作品?展覧会に《AUDIBLE DISTANCE》、《Sonic Interface》、《ものと音、空間と身体のための4つの作品》、《Container for dreaming》、《OKINAWA NOISE MAP》、『場所をつくる旅』などがある。
インタビュアー?編集:島貫泰介
撮影:八嶋有司