IAMAS ARTIST FILE #05 前林明次「場所をつくる旅」報告と批評
前林明次の個展「場所をつくる旅」(IAMAS ARTIST FILE #05)が岐阜県美術館で開催されている(2017年7月22日~8月20日)。同展のチラシ文にはこのように書かれている;「『いま、ここ』にいくつもの場所が重なっている。『岐阜県美術館』は日本の、岐阜の、美術館という場所、さらに絵の中にはたくさんの『場所』が描かれていて、美術館は無数の『場所』の収蔵庫と言えそうだ。ここで明治時代の洋画家、山本芳翠が描いた沖縄の海岸風景《琉球漁夫釣之図》と出会った。この絵が描かれた場所を訪れ、音を録り、その絵に重ねてみようと思う。風景画の音によるアップデート、明治時代の沖縄で芳翠によって絵描がれた絵、そして2017年にその音を探す旅。そのような旅の重なりからどのような『場所』が立ち現れることになるだろうか」。
会場は入口外側の展示「沖縄海岸風景アップデート」を含めて4つの作品群が並んでいる。「沖縄海岸風景アップデート」は、岐阜県美術館が収蔵する山本芳翠(1850-1906)の《琉球漁夫釣之図》(1887)の設営風景が撮影され、また芳翠と直接的あるいは間接的に関係のある沖縄の特定の場所(波上宮の建つ崖下に作られた人工ビーチ、北谷の砂辺海岸、名護市の阿部海岸、辺野古のキャンプ?シュワブ沿岸)の風景が撮影されている。学芸員たちによって丁寧に設営された芳翠の絵画は、位置や照明などが入念にチェックされ130年前の海岸を突如として出現させ、同時に美術館の壁に定着させ、それは「かつての時間」をもっていた海岸風景が「現在の時間」たる美術館と静かに拮抗しながらかろうじて成立しているかのように眼に映る。静かな空間、静かな絵画だ。だが、現実の海岸の風景が流れると、米軍の飛行機が轟音を吐いて青い空を飛び去ってゆく。絵画と轟音とのあまりのギャップに驚かされるが、映像のなかの海岸で遊んでいる子供たちや家族は(現実に飛行機を見てその音を聞いているはずなのに)なにごともなかったかのように自分たちの時間を楽しんでいる。モニターを前にする者は、絵画、映像、音の三者によって、空間を一律に理解しようとすると時間の感覚が歪み、時間を一定に捉えれば空間の感覚が捻れるという、それ自身あまり快適ではない体験をさせられることになる。
《沖縄海岸風景アップデート》より抜粋
会場内に入る。6つのスピーカーによる音響作品「6 walks with metronome」が置かれている。置かれている? 仮に絵画や彫刻であればその表現が成り立つであろうが、そこには6台のスピーカーが置かれ、メトロノームの音がそれ自身の反響音も含めてさまざまな音の融合が聞こえてくるばかりだ。なるほど作品の一部であるスピーカーは確かに「置かれている」。だがそれは作品そのものでははい。同時にそれは音を放出するメディアである。われわれはそのスピーカーを鑑賞するわけではない、そしてスピーカーから発生する音を聞く行為すら、鑑賞行為とは呼べない。6台のスピーカーが屹立する真ん中に立って、われわれは6種類の収録された音を各々聞くことになる。作者前林の両耳に入れた装置によって録音されている音なので、立った者たちは前林の聞いた音を聞くことになる。いや、そうではない。だからといって同じような音が再構成されてそれを聞かされているわけでもない。いったいわれわれは何を聞いているのか。いや、そもそも「聞く」とはどういう行為を指して言えるのだろか。そんな身体の根源的な地点にまで下降することを余儀なくさせられる作品だ。音は横方向にグルグルと回っているのに、「聞く」ことを問うこの身体は感覚の深みへと潜行する。まるでコマのような回転体として自分の身体を意識したとき、われわれは軽い眩暈を覚えるのである。
《「琉球漁夫釣之図」のための沖縄音響合成》展示風景
さて、音と空間という、こんにちのメディアアートやインスタレーションアートにおいてはほとんど自明になってしまった要素のからみあい(これは決して足し算ではない)に「見ること/聞くこと」という行為の混濁(ないし融合)を体験したわれわれは、もっとも重要な作品である「《琉球漁夫釣之図》のための沖縄音響合成」の場へと立ち入ることになる。そう、入口前に置かれていたモニターで、学芸員たちが慎重に壁面に設置していた、あの山本芳翠の作品である。ここで言う「音響合成」は、単に複数の音響を技術的に合成することにとどまらず、音響という「記号(聴覚記号)」が、「視覚記号」や「触覚記号」といった他の「記号」を喚起し、それによって場そのものが具体的な空間と記号的合成によって構成された「イメージの場」との多層的な空間を織り成し、いわば合成的な場をさらに合成させることで重層的な場を構築する行為に対して付された名称である。その意味で「音響」とは、ひとつのトリガー(引き金)にすぎず、鑑賞者の意識(ないしその混濁)も含めて場全体に裂け目をもたらし、それらの断片を接続させ、新たな場を構成するための因子として機能している。山本芳翠の《琉球漁夫釣之図》は画面の半分が海で覆い尽くされている。手前に小さな舟がありそこにはふたりの漁夫が乗って黙々と作業をしている。画面右側の陸地から虹が高く屹立し、雨後のないし雨の降りそうな重たい雲へと溶融しようとしている。「名画からは自ずと音が聞こえてくる」といった箴言は、ただ「そのようなこともある」として卻けられなければならない、「聞こえてくる音」もまた鑑賞者によってイメージ的に再構成された音響にすぎないからだ。前林のこの作品では、沖縄のあちこちの場所でフィールドレコーディングされた音響が連続的に聞こえてくる場で、絵画を鑑賞しなければならない。芳翠の描いた海と空と陸、そして小舟と漁師たちというモチーフは現実のものだろう、130年前の現実世界だ。そして耳に入ってくる波の音は現在の、もちろん現実の音だ。それら現実(を絵画的ないし音響的に再構成したもの)のメディアの重なり合いを前にして、鑑賞者が新たな空間や新たな音響を眼にして耳にする、といったロマンティックな体験の強要もまた卻けられなければならない。130年前、明治二十年代の糸満(この絵画が糸満で描かれたことは、4つ目の作品である「沖縄海岸風景-糸満」によってほぼ明らかとなる。この映像作品は、130年ぶりに謎が解き明かされる心地よさをもっている)でも、このような波音が聞こえたかもしれないし、海鳥が鳴いていたかもしれない、舟を漕ぐ櫂の音もわずかながら耳にしただろう。だが、そうした実際音は、山本芳翠の聴覚に封じ込められてしまっている。したがって、この作品《琉球漁夫釣之図》は最初から音は存在していないのだ。
《沖縄海岸風景 – 糸満》より抜粋
芳翠の作品は、人物画である「伊藤博文公肖像」(1903)であっても、説話的?神話的イメージが濃厚な「裸婦」(1880)や「浦島図」(1893-95)や「猛虎-声山月高」(1893)であっても、およそ「音」というものを感じさせない。「無音」というわけでもなく、いわば音響という記号のない世界で絵画的な空間あるいは神話的な世界が構成されていると言えばいいだろうか。芳翠は嘉永三年(1850)に生れ、明治三十九年(1906)に亡くなっている、享年五十六。彼の生涯と重なるように、フランスではリュミエールによって映画が誕生した。1895年のことだ。もちろん、最初は音がなかった。写真が「動く」こと、また後になって挿入されるインタータイトル(字幕)があること、そのふたつの要素によって、映画は映画であり続けた。1927年になって映画は音(セリフ、効果音、音楽)を持つようになった。サイレントからトーキーへの移行というメディア的大事件である。だから、というわけではないが、同時代的なエトスという側面から見れば、芳翠の絵画が「サイレント」であるのも半ば納得がいく、というものである。ちなみに、マキノ?プロダクション時代にはサイレントの剣戟映画に、トーキーではさまざまな現代劇映画で活躍した山本禮三郎(黒澤明「酔いどれ天使」では三船敏郎扮する主人公松永の兄貴分である岡田を好演している)は、芳翠の次男博吉の芸名である。
そうした芳翠の「サイレント絵画」に前林が音を付けた。それは絵画を鑑賞するという体験を異化させることであり、芳翠の絵画世界に音を与えるという実験でもあった。けれども、前林によってレコーディングされた環境音が、芳翠の作品を際立たせるとか、引き立たせるといった「効果」をもつことがないのは明らかであり、そもそもそんなことが作者の狙いであるはずもない。そもそもわれわれは視覚的風景と音響的環境とをいつもパラレルに捉えているだろうし、そのことに異議を唱えることもしない。だが、「沖縄」の「米軍基地」を訪れれば、視覚に入る風景の異様さ以上に、まずは轟音、爆音、激音が訪れた者を歓迎してくれるだろう。本土の人びとが、沖縄にある基地やその周辺を視覚で捉えたとき、聴覚で軍用機の轟音を把捉することは、まっとうな解釈(あるいは条件反射?)と思われるかもしれない。もちろん、沖縄に住む人たちにとってもそうした(米軍の軍用機の姿と爆音)は日常的な風景であり、入口前に映し出されていた映像でも、巨大な飛行機と轟音が突如として介入する世界で、人びとは「普通に」生を営んでいる。しかし、言うまでもなく、その「普通の風景」は戦後につくりあげられた風景にほかならない。であるから、山本芳翠の《琉球漁夫釣之図]》は、そんな飛行機などとは無縁の時代と場所を描いた作品であり(わが国最初の動力飛行機での航行が旧帝国陸軍の日野熊蔵大尉によっておこなわれたのは明治四十三年のことである)、そこで「普通に」釣りを営む漁師たちの頭上には飛行機ではなく虹がかかっている、というのは歴史的な事実なのである。
前林はあからさまに沖縄の基地問題や騒音問題を作品の前面に露呈させようとはしない。そうではなく、たとえば芳翠の絵画で描かれた糸満での典型的な漁の風景を、軍用機の爆音によっても変わることのない音、戦後に変わってしまった音、そうしたさまざまな音の連鎖によって「朗読」しようとしたのだ。わかりやすく、はっきりとした口調で読むことが朗読なのだが、ここでは、芳翠の《琉球漁夫釣之図》を朗々と音響化することで、鑑賞者であるわれわれの佇む場、聞いている時間を、別の時空間へと誘導することを試みているのかもしれない。
会期中、本学教員を含め、アーティスト、研究者など多くの人とトークがおこなわれたが、これもまた前林の作品についての「朗読」「朗唱」と言えないこともないのである。言語は最後の最後まで表現でありつづけることができるのだから…。