教員インタビュー:三輪眞弘教授(前編)
絶対に人間が演奏しないと、「音楽」「儀式」にならない
- このインタビュー前半では、アーティストとしてのこれまでのご活動や考え方について、後半では、IAMASでの教育内容についてお伺いします。
アーティストとしてのご活動は、2つの軸があると思います。ひとつは、コンピュータ?シミュレーション上でアルゴリズムを用いて作曲した楽曲を、「生身の人間」が演奏する「逆シミュレーション音楽」※1。もうひとつは、「人間の声」を人工合成して歌わせる、ユニット「フォルマント兄弟」のパフォーマンス。一見、対極にも見えますが、「テクノロジーと身体」という問題が共通すると思います。
《またりさま》のワークショップ
Ars Electronica2007 公式PRESS写真 ?ARS ELECTRONICA | rubra
《またりさま》 作曲:三輪眞弘 演奏:方法マシン 2005年
まず、「逆シミュレーション音楽」の方からお聞きします。アルゴリズムを使いつつ、なぜ、生身の人間の身体が必要なのでしょうか?
基本的に僕の関心は、「テクノロジーと身体がどのように関係しているのか」という点にあります。「アルゴリズムで楽曲をつくっても、絶対に人間が演奏しないと意味がない」とかたく信じているので、シミュレーションでサンプリングした音を使えば、100倍の速度と正確さでできることを、わざわざ人間でやっています。なぜなら、そうでないと「音楽」にならない、「儀式」にならない。つまり、「儀式」というものは自動化できるとは僕には思えない。人間がやることによって、初めて意味を成すんです。
また、「逆シミュレーション音楽」には、集団的なレベルでの身体が関わってきます。個人個人の身体は分かれているけれど、集団で何かをやるとトランス状態になったりするように、実はつながっている部分がある。そこもポイントです。
超越的な存在を想定しなければ、芸術は成り立たない
- 「絶対に人間が演奏しないと、『音楽』にならない、『儀式』にならない」という言葉が出てきました。三輪さんにとって、「音楽」と「儀式」は等価なのですか?
ほぼ等価です。音楽は音響現象に特化している点では、全く同じではないけれど、儀式であるという本質においては、同じです。つまり、奉納するわけです。それは僕のアイデアではなくて、たとえば、日本の伝統芸能はみな、神様に奉納するものだという前提があるわけで、それに人々が立ち会って見守るという関係です。ベートーヴェンのピアノリサイタルであっても、起こっていることは実は同じなんだと思っています。そうでないと、エンターテインメントになる。つまり、演奏者が、聴衆に向かって、喜ばせるために聴かせるわけで、その上に神の存在がないのがエンターテインメントです。でも、僕にとっての芸術とは、神のような超越的な存在が想定されなければそもそも成り立たないというのが持論です。
- 「芸術は、神がないと存在しえない」というのは、ある種のモダニズム芸術批判のようにも聞こえます。日本の場合、村落共同体で農耕の神などに祭りとして芸能を捧げてきましたが、ヨーロッパで音楽がどう発展してきたかというと、教会という絶対的な権力があり、キリスト教の神に捧げてきたわけです。絵画や彫刻でも神という頂点に向かってヒエラルキーがあったわけですが、モダニズムはそれを否定し、神のための芸術ではなく、芸術のための芸術として自己更新していくものとして切り替えました。そこで再び、絶対的な何かに奉納する、捧げるためのよりどころが必要だというのは、モダニズムに対する批判的な要素もあるのかなと思いましたが、いかがですか?
そう言えると思います。「神は死んだ」と言われて久しいし、僕自身が特定の神を信じているわけではありません。ただ、神を必要とする原理みたいなものは、昔と変わらず、人間にはあると思うんです。少なくともそういうものを想定しないで作品をつくることはできない、ということです。
もうひとつ言えるのは、「神はいない」と認識したんだから、では現代を生きる僕らがいちばん信じているものは何なのかというと、科学と数学なんですよね。神に代わって信じているものに従うしかないということで、僕はアルゴリズムを選んだという言い方はできると思います。
作品の受容に必要な要素としての「物語」
- 「儀式」というキーワードに関して、もうひとつお聞きします。「逆シミュレーション音楽」では、作品ごとに「またりさま」「ロシア系先住民ギヤック族の祭事」など、「架空の伝統芸能」という設定をあえて構築しています。この点も、「儀式」である理由とつながっていますか?
もちろんそうですが、まず純粋に、どうしてもそういう物語をつくりたくなったんです。次に、「これは悪い冗談」などではないとどうやったら説明できるのか、かなり考え続けました。昔は、作品の解説の最後に「~という夢を見た」と書かなかったので、「そういう集落や芸能が本当にある」と信じて尋ねてくる人もいたんです。でも、「いや、僕がやりたいのは人を騙すことじゃないだろう」と考え直しました。
「物語」が必要だった理由としては、2つあります。ひとつは、作品なり体験というものを理解するには、必ず物語というものが必要だ、と思ったんです。アルゴリズムでつくったものだから、物語なんてなくて、原理しかない。でもそれでは、どうしても作品にならないと感じたからです。
もうひとつは、物語がないと、新興宗教になりかねないので、「架空の話ですよ」と予防線を張っておく意味もあります。僕の妄想が書かれているだけで、それ以上でも以下でもないと。読んで笑う人もいるかもしれないけど、それで良くて、その物語を読んでしまえば、作品としては機能するんです。それが真実かどうかというよりは、作品を受容?体験するときに必要な要素として物語があると今は理解しています。
- 「あえて架空の伝統芸能を設定する」という身振りには、批判的な面と肯定的な面の両方があると思います。批判的な面としては、一種の共同体批判や伝統批判が内蔵されているのではないか、ということです。今私たちが「伝統」だと思っているものは、日本が近代国家になるときにつくられたものが多いように、捏造されたフィクションの上に共同体が成り立っている。勝手に信じ込んでいるだけで、実は根拠なんてないんだという批判です。
全くその通りのことを考えていました。《またりさま》をテレビ番組でやったら、視聴者は普通に信じるだろうと思うんです。実際に、あるワークショップでやったときに、テレビ局に勤めていた参加者の一人がその時に創っていた「架空の伝統芸能」をテレビ風の動画にしました。それは何の違和感もないテレビ番組になりました。逆に言えば、「伝統」なるものは、そんなに簡単に捏造できるんです。
せんだいメディアテーク「架空の伝統芸能つくりますワークショップ」(2004)で制作された「架空の伝統芸能ドキュメンタリー」 映像制作:高橋哲男(jai)
《村松ギヤ(京風バージョン)》 作曲:三輪眞弘 演奏:京都大学学生有志 2003年
音楽の原初的なかたち
- 一方、肯定的な面として、一人の声で歌うモノフォニーではなく、システムの一部として集団でひとつのリズムを生成していくあり方が、音楽の原初的なかたちと結びついている面もあると思います。音楽人類学の研究では、モノフォニーよりも、集団で歌うポリフォニックな音響の方が先にあったという学説が有力です。例えば、アフリカのピグミー族のような、非常に複雑な和音が初めに誕生したと。アルゴリズムを使った三輪さんの作品も、ルールだけ見ると単純そうですが、実際に現われているものは、全ての要素を追いきれない複雑さを持っていて、単に伝統や共同体批判、あるいはモダニズム批判だけではなくて、もう一度音楽の本質というか源流に立ち返りたいという欲望があるのではと思いました。
間違いなくそうだと思います。《またりさま》なんて、鈴とカスタネットが順番に鳴り続けるだけですから、音響現象としては乏しいと言えるかもしれない。でも、それを音楽として発表したかったのは、音の豊かさの話じゃないだろうという気持ちがあって、こんなミニマルなものでも「音楽」と呼べるし、成立するんだと問いたかったんです。
- もうひとつ、人間が演奏するので、鈴とカスタネットの鳴らし方には、人によって微妙に強弱があり、機械のように制御できませんよね。また、声にも、高低、男性か女性か、大人か子どもかなど、非常に複雑な差異が含まれます。そうした差異をすべてフラットにしてしまって、コンピュータで絶対に間違えない演奏をした時に、人間はそれを「音楽」として受容できるのだろうか、耐えられないのではと思います。
それは、人間による演奏を前提に僕がつくっていることの最も大きな理由です。アルゴリズムでは、規則に従ったら、どんな順番で音が鳴るかは確認できるわけです。63周目で元の状態に戻るといったことがシミュレーションをすれば分かる。でも、実際の演奏では、混乱して焦って、前の人の肩を強く叩いて、「あ、今、痛かったかな」とか余計なことを山のように考えながらやるのが人間なわけです。それなしに、音楽は成り立たない。さっき言った奉納と同じですが、完全にルールで決まったことをやったとしても、完全に同じことは絶対にできない。人間がやるっていうのはそういうことで、僕はそれを顕在化させたいと思っています。
中編に続きます
三輪 眞弘 / 学長?教授
作曲家。コンピュータを用いたアルゴリズミック?コンポジションと呼ばれる手法で数多くの作品を発表。第10回入野賞1位、第14回ルイジ?ルッソロ国際音楽コンクール1位、第14回芥川作曲賞、2010年度芸術選奨文部科学大臣賞(芸術振興部門)ほか受賞歴多数。2007年、「逆シミュレーション音楽」 がアルス?エレクトロニカのデジタルミュージック部門にてゴールデン?ニカ賞(グランプリ)を受賞。
※1「逆シミュレーション音楽」
2002年に三輪眞弘が発表した音楽の方法論。どのような音が奏でられるかを、アルゴリズムを用いて予めコンピュータ上でシミュレーションし、楽譜ではなく「指示書」として記述する。演奏者(「逆シミュレーション音楽」では「解釈者」と呼ぶ)は、その規則に基づき、アルゴリズムに基づく手順を連鎖的に反復して、音を奏でる。コンピュータでシミュレーションした旋律を、生身の人間が演奏するため、「『逆』シミュレーション音楽」と命名された。初期の代表作品に、《またりさま》(2002)と《村松ギヤ》(2003)がある。
インタビュアー?編集:高嶋慈
撮影:八嶋有司